今回の記事はそんな馬鹿な話あるかよという気持ちでリラックスして読んでください。
もし、人類が科学の力を持ってして、便利の究極を求めるとどこまでいくのか考えたことがあるだろうか?
私の考えでは、人間は物質であることをやめるはずだ。
物質ではなく、精神体や、或いは幽体になれば、歩く、乗る、飛ぶなどの基本動作すら省略することができる。
この仮説通りにいけば輪廻転生の思考には合点がいくのではなかろうか。
我々が霊界だと思ってる世界=過去の文化人の文明と考えることができる。
そして老いることもなくなり、退屈になった文化人はビッグバンにより宇宙を作り、そこに数多の魂の入れ物や惑星を作り、人類として転生する遊びを始めた結果がこの人類史なのではないか。
事実、アインシュタインの相対性理論や、反重力装置の構造上、宇宙を作り、物を浮かすことは現代においても既に実現可能である。蒸気機関による産業革命から100年余りでここまでの科学力を身につけられることを踏まえ、30万年前に登場した知的生物がどれほど進歩できたかを考えたら、ここまでの仮説に辿り着くことはできるはず。
また宇宙の太陽系の構造も、円であり、まるで何かが管理しやすいように設計されているような気がしてならない。自転、公転、重力、時間、空間、分子と誕生の秘密を説明しきれないものが多い。特に自転、公転、時間に関しては自然物にしては正確すぎる。1日24時間、季節での多少の変動はあれど、きっちり朝と晩がやってくる。そして1時間が60分と知る者がいる。(歴史で習う木の棒の影を利用して測ったとは私はどうしても考えられない)
霊界というものが神格化されていることも、聖書や神話の神が実在した生物をモデルにしていることも、我々が霊界というものを想像できることも、本能的に我々は何かに気づいているのかもしれない。
人が想像できることは実現できる
という名言があると思いますが、まさに幽体とは科学力の延長線なのではないだろうか。