HN=TREEMAN(スカイツリーの近所に住むので命名)
現在、アパレル企画メーカー代表取締役(自身で企業)
   中国外資繊維メーカー取締役 として2社で役員兼務
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1973生(現37歳 独)
群馬県桐生市で生を受ける。

父は四柱推命師。母はファッション関係。

多少やんちゃもするが、まぁ平凡に中学を卒業し、県立高校に無事入学。

バンドとバスケと日本拳法(5歳からやってます)と合コンに明け暮れ高2年の秋まで・・・。

昔から得意?(好きだったの方が正しいかも)だった絵の勉強をしたくなり、美術予備校に通う。

この頃からファッション業界に興味を持つ。

かっこつけて”芸大コース”なんてのに入って「君今年受験するんでしょ?」って高2なのに勘違いされ冬期講習まで受けるはめに。

やや1年そんなことをやって、本番の受験シーズン到来。遊んでたものの成績は悪くなかったので推薦受験が適用され実技試験のみで関西の私芸大を受験。(本当は文化服装学園に入学したかったが親に受験を強制される)

とりあえずパスし入学するも、つまらないので中退。(お世話になった方々この場を借りてごめんなさい)

翌年まで地元のジーンズショップでバイトをし、春から文化服装学園に入学。

晴れてファッション業界の登竜門に!
(しかし初日から3日連続遅刻で半年担任に干される、その後クラス委員長って訳が分からん)

在学中、同期の仲間(メンバーには有名デザイナーで現在も活躍中)と数れないほどファッションショーやイベントを開催し、それなりに充実した3年間を過ごし、就職活動期を迎える。

受験はパリコレブランド2社だけと決めていたのでまずは1社目。

I・M氏の主宰する会社で最終選考まで残るも”条件付採用=バイトから”だったので断ることに。

2社目でダメだったら留学しようと決めていたので、公募していないメゾンだったにも関わらず手紙でアピールし、しつこく受験まではこぎつける。

何とかつかんだ糸口だったので、必死にアピールし見事採用を勝ち取る。(ホントに頑張った)

アシスタントを2年経験し、デビュー作品のチャンス。

試験科目のような物でこれがOKもらえないと、またアシスタントに戻されるわけだ。

何とか合格をもらい晴れてパターンナーデビュー。

その後1,5年ドメスティックブランドにかかわり、パリコレチームに転属する。

必死に頑張り、それなりに感度を認めてもらえるところまで頑張ったが「潮時」と判断し退社を決意する。

EUやUSと色々なメゾンに声をかけてもらったが、どれもピンとこなかったので丁重にお断りする。
(行ってたらかなり人生が変わっていたかも・・・世界的に超有名老舗メゾンだったりもしたが、当時リニューアル前で魅力を感じなかった。)





長くなったので今日はここまで。