これが今回の核心部分で、民主党政権が決めた撤退策を青森県が覆してしまったことについてではありません。もともとはそっちの系統で怒っていて書いていたのですが、そうじゃないことに気づきました。結果、鎌仲監督の提起するまま反対活動をしていたころには持っていなかった認識が生じました。

 

副題をつけたいのですが適当なものが出てこない。

 

原子力発電所と再処理工場の関係、核燃サイクル計画の関係

 

としか言いようがないものです。このことに鎌仲監督は気づいていたのか、取材映画を作るわけですから気づいていなかったわけはないと思います。それから再処理工場や、核燃サイクルに反対する活動家の人たちも、本当はわかっていて、あえて言わないのだと思います。

 

民主党は、核燃料サイクル計画というものの巨大さ、荒唐無稽さというものを予算面、ムダ使い削減の面で停止しなければ、停止できると思ったのでしょう。ところが、地元からの反対にあうと、そういう方針を取りたいという国の考えを表すこともなく撤回を引っ込めてなかったことにしてしまいました。要するに核燃撤退、再処理停止なんてできやしないとすぐに判明したのです。折衝段階で撃退されたということです。

 

日本各地に安全性には問題はないということで僻地に原子力発電所が建てられているけども

使用済みウラン燃料棒の処置については、一時的には施設内にためておくものの、これは絶対に原発敷地にとどめておいてはならず、絶対に外に持ちだして出さないといけないことになっています。

 

なぜなら日本に核燃料最終処分場はどこにもないのです。ですがもう50年間原子力発電を続けているのでウラン燃料棒は排出し続けられています。ということは、中間貯蔵施設に仮置きだといって仮置き50年間していることになるのです。一時的にもおいておいてよい、と言ってしまうと永久にそこから動かなくなってしまう可能性が大なのです。日本では実質中間貯蔵が

処分場であると言えます。全国からウラン燃料は排出されるのでそれをどこかに移さないと原子力発電所は機能できない。その中間貯蔵こが、ウラン燃料棒を再処理するという名目のもと、青森県にあり、そこがすべての燃料棒を引き受けていたというわけです。

 

再処理止めるなら、県内受け入れを停止すると堂々と渡り合った青森県ですが、再処理工場を動かさず、核燃サイクルを撤回するのなら、ここへ持ってくる理由がないわけですから、脅しでもあるけども、当たり前のことを言っているだけでもある。民主党は連合=電力労連=東電労組の強い原子力推進の縛りを受けていて原発停止などは夢にも考えていない。原子力発電はあくまでやめるつもりがない。そこで自民亭と科学技術庁、経産省と結託して組み立てた核燃料サイクル計画という壮大なホラ話は停止できるだろうと、我々活動家レベルと同じ認識で無駄を省けると考えたのだがそんなわけはない。

 

原子力発電と再処理工場、核燃サイクルの大風呂敷というものは不即不離の関係にあって、

核燃サイクル、再処理工場がなかったら、使用済み核燃料を排出する先すら日本国内にない、どこにも受け入れ先がない状態になる。そういうものだったのです。

読んだことはないけど、トイレのない原発とかそのような本が既にずいぶん前に出されていて

自分は最終処分場がないことを警告しているだけかと思いましたが、このことを問題提起している本だったのではないでしょうか。

 

これだと、いくら反対してもどんなに実現可能性がなくても青森に再処理工場だけは絶対に作って稼働させないといけないことになります。それだと反対しても反対運動は達成できないことになります。

青森の日本原燃工場稼働が決まってしまって、中間貯蔵こというものが出来上がった以降は

もう止めることは不可能になっていたのです。活動家側、この実態を調べて伝える側もこの不即不離の関係はもう見えてわかっていたでしょう。それだと反対しても意味がないことになるので、その所については鎌仲氏も黙っているしかなかったのです。

 

つまり核燃料サイクル計画というのは夢の計画でも荒唐無稽な巨大プロジェクトでも何でもなく

使用済み燃料を青森県の中間貯蔵庫に収集するための理由を作る、建前上の作り話の目的だったということです。これを止めると原発がうごかせなくなってしまう。

 

青森県六ケ所村の再処理工場と付帯の広大な中間貯蔵施設というものはそういうものだったのです。図らずも、自分もこれがないと原子力発電所は動かせないのだな、名目上絶対に必要なんだなと分かってしまったのですが、それも原子力発電を続けるという現状のみ。

 

中間貯蔵施設や最終処分場は日本にはないので原子力全体を止めたのだとしてもまた何とかしないといけないのですが、どちらにしてもこんな架空のでっち上げの計画をもとに原発を動かし続けることはあまりにもおかしい。核燃料サイクル計画は日本の原子力発電の創始とほぼ同時期に、原発とセットで生まれているはずなのです。最初は核燃料を永久に使いまわせるという本気でやるつもりで作られたのだとは思いますが。できないことがわかってもちゃんと使い道があったのです。こういうことを平気で日本という国はやるわけですね。

壮大な経済的謀略です。

 

ちなみに10年ほど、再処理工場ウォッチャーをさぼっていたわけですが、10年前にも完工していなかった再処理工場は2023になってもまだできていませんでした。完成しない、完成しないをずっとこうやって続けて、使用済み燃料だけ集めていくということなのでしょう。

 

 

これが核燃料サイクル計画と再処理工場の真相なのであろうという認識にたどりつきました。