競馬に三冠レースというものがあります。

現在は三歳クラシックレースと呼ばれていますが、一昔前は四歳クラシックレースと呼ばれていました。

4月に行われる「皐月賞」

5月に行われる「日本ダービー」

10月に行われる「菊花賞」

※番組編成以前は11月に菊花賞は実施されていました。

 

おいおい、競馬の話かよ・・・

どこが歴史に話やねん!

 

と、思われた方!ここからが「へ~ぇ・・・」という話です!

昔、某テレビ局で使われていた「へ~へ~ボタン」を押す準備をしておいてください(笑)

 

1994年に事件というか、珍事が起こりました。

この年は、まだ四歳クラシックレースと呼ばれていた時代で、この年は、皐月賞・日本ダービー・菊花賞のすべてのレースを同一馬が勝つという、いわゆる「三冠馬」が出現した年です。

 

実はこの三冠馬にも歴史があって、1984年のシンボリルドルフ以来出現していなかったのです。

それまでに4頭の三冠馬が世に誕生していましたが、その三冠馬が誕生する年になりました。

 

「ふ~ん・・・それで?」

 

って感じですよね。

ここから本題です。

1994年の皐月賞は1994年4月17日に千葉県の中山競馬場で実施されました。

この時の内閣総理大臣は細川護煕氏でありました。

この細川内閣は、この10日後の4月28日に総辞職し、新たに羽田孜氏率いる羽田内閣が誕生します。

 

日本ダービーは同年5月29日に実施されました。

この1ヶ月後、羽田内閣は総辞職し、新たに村山富市氏率いる村山内閣が誕生します。

 

菊花賞は同年11月6日に実施され、見事に史上5頭目の三冠馬が誕生しました。

ナリタブライアンです。

「ナリブー」です。

 

何が言いたかったのかというと・・・

史上初、三冠レース実施日に内閣総理大臣がすべて違う人で三冠馬が誕生した、という珍事。

これはそうめったにないことでしょう。

 

それよりも、なんでそんなことに気づいたのか?

気になりませんか?

実は歴代内閣総理大臣を覚えようという自由研究をしていた小学生がいて、どこを見たらいいのか尋ねられたので、探していたら首相官邸ホームページにぶち当たり、そこで歴代総理を見ていた時に、羽田孜氏の内角がえらい短命内閣だったんで、ほかにないか調べようとなって、その前後を見ていたら、辞職日時を見てふっと三冠レースが頭に浮かんだ、というわけです。

 

さすがに子どもにそんな話はしてませんけどね。