同じ趣味を持っている相手とは、楽しい時間を過ごすことができることが多い。
だが、趣味が同じでも、見方や見解に相違があると、却って、気まずくなることもある。
どちらにしても、共通の何かがあると、結果的にはプラスであれマイナスであれ、コミュニケーションのきっかけになる。
一方、こんな場合はどうだろう?
例えば、自分が好きな映画や本があったとして、別の人はそれが大嫌いということがある。
こんな場合は、当然それがコミュニケーションのきっかけにはなりにくい。議論やけんかをふっかけるなら別だが....。
もちろん、ひとつやふたつの趣味・嗜好が正反対だとしても、そんなことは人が違えば違うのが当たり前なので、それが原因で良好な関係が築けないということにはならないだろう。
しかし、その好みが自分の生き方の根幹に関わるものであれば、その好みが正反対の場合は、なかなか良好な関係は築けない。と言うよりも、交流することは難しいだろう。
若く、血気盛んな時分には、そういった自分と他人の違いに我慢することができず、他人に対して寛容になれないものだが、大人になれば、他人が違った考えを持つということを尊重できるようになる。
だが、これが、恋人や夫婦になるとか、共同で経営をするとか...つまり、人生の重要なパートナーということになれば、相手に対する目も厳しくなってくる。
自分と人生の根幹にかかわる考え方が違う相手というのは、友人になることはできても、同じ道を歩くことは出来ない。つまり、パートナーになることは出来ない。
ほとんどすべての趣味・嗜好が正反対であっても、ただ一つ、自分をかたちづくる核の部分が相手の核の部分とほとんど同じであれば、一緒に歩いていくことができる。
あなたは、もう、そんな相手に巡り合っていますか?
日本経済が停滞していると言われるが、業績好調な企業も数多くある。
昔のように右肩上がりの経済状況の時は、よっぽどまずいことをしない限り、どんな業種でも繁栄の恩恵に預かることができた。しかし、世界の国々が密接に関係している現代は、世界レベルで競争力のある企業でなければ生き抜くことはできない。一見、世界経済とは関係なさそうに見える、生活に密着した商売でさえも、世界の動きに無関心では立ち行くことはできない世の中になった。
私の子供時代は、どんな地方都市でも人があふれ返り、多くの商売人たちが店や会社を繁盛させていた。いまや、その繁栄の面影はほとんど残っていない。老舗の廃業、空き店舗の増加、ビルの取り壊し、目立つ空地。空地を使って新たな商売を起こそうという人も少なく、せいぜいコインパークにして日銭を稼いで税金の足しにするくらだろう。実際、地方で個人が大がかりな店舗を構えて収益を上げようと考える時に、どんなことをすればいいのか。
昔のようにみんなの真似をすれば、まあまあなんとかなるということは絶対にあり得ない。
とても難しい時代になったと思う。そして、これは一過性のものではないとも思う。これまでの考え方を根本的に変えない限り、活路は見いだせないだろう。
つまり、高度経済成長時代から現在まで続く日本の経済状況は、本当に例外的な時代だったということを、あらためて認識する必要があると思う。頭のいい誰かの真似をすれば、同じように大儲けできるというのは過去のことだ。それぞれが、すきまを見つけ、オンリーワンの何かを創造しない限り、大きな成功はない。もちろん経済的な成功だけが生活に対する満足度の指標になるわけではないが.....。
現在は大企業になった、パナソニック、SONYなども、もともとはベンチャー企業だった。今までにない、新しいモノやサービスを、たぶん誰も理解できないものを、自分たちの感性と技術だけを信じて、突き詰めていった結果、現在の姿がある。
時代を生き抜き、納得のいく、満足できる生活を手に入れるために自分に投資が必要な時代なのだ。でも、それは○○通信講座とか、どこかの学校に入ったからといって、自動的に手に入れられるものではない。自分が何を求めているのかを突き詰めていない限り、はやりの資格をとったからといって、何の役にも立たないはずだ。
何を求めているかということは、言い換えると、何を美しいと思うかということだろう。
美しい建物、美しい車、美しい道、美しい山、美しい海、美しい人、美しい心...。
それぞれが思う美しさの基準は違うだろう。だけど、人々に受け入れられる美しさは、ある程度一致するのではないだろうか。もし、自分の求める美しさが他人と違えば、それはそれで、個性的なものを創造する可能性を秘めていることになるかも知れない。
我々の祖先たちは、常に美しさを追い求めてきたと思う。そして、その美しさを後世に残す努力をしてきた。だから、その歴史を振り返ることで、自分が何を美しいと思うのか、何を大切にしたいのかがわかるはず。
美しいものに囲まれて生活している人は、物事の美醜、善し悪しに敏感になる。つまり感性が鋭くなる。常に、美しいものに接することが、遠回りのようだが、生きる力をつける最も良い方法だと思う。
あなたの家は美しさにあふれていますか?
学校・職場には美しいものがありますか?
住んでいる街のいたるところに美しいものがありますか?
あなたが知っている、みんなに知ってもらいたい美しいものを思い起こしてみてください。それが、あなたの大切したいもの.....求めているものだと思います。
昔のように右肩上がりの経済状況の時は、よっぽどまずいことをしない限り、どんな業種でも繁栄の恩恵に預かることができた。しかし、世界の国々が密接に関係している現代は、世界レベルで競争力のある企業でなければ生き抜くことはできない。一見、世界経済とは関係なさそうに見える、生活に密着した商売でさえも、世界の動きに無関心では立ち行くことはできない世の中になった。
私の子供時代は、どんな地方都市でも人があふれ返り、多くの商売人たちが店や会社を繁盛させていた。いまや、その繁栄の面影はほとんど残っていない。老舗の廃業、空き店舗の増加、ビルの取り壊し、目立つ空地。空地を使って新たな商売を起こそうという人も少なく、せいぜいコインパークにして日銭を稼いで税金の足しにするくらだろう。実際、地方で個人が大がかりな店舗を構えて収益を上げようと考える時に、どんなことをすればいいのか。
昔のようにみんなの真似をすれば、まあまあなんとかなるということは絶対にあり得ない。
とても難しい時代になったと思う。そして、これは一過性のものではないとも思う。これまでの考え方を根本的に変えない限り、活路は見いだせないだろう。
つまり、高度経済成長時代から現在まで続く日本の経済状況は、本当に例外的な時代だったということを、あらためて認識する必要があると思う。頭のいい誰かの真似をすれば、同じように大儲けできるというのは過去のことだ。それぞれが、すきまを見つけ、オンリーワンの何かを創造しない限り、大きな成功はない。もちろん経済的な成功だけが生活に対する満足度の指標になるわけではないが.....。
現在は大企業になった、パナソニック、SONYなども、もともとはベンチャー企業だった。今までにない、新しいモノやサービスを、たぶん誰も理解できないものを、自分たちの感性と技術だけを信じて、突き詰めていった結果、現在の姿がある。
時代を生き抜き、納得のいく、満足できる生活を手に入れるために自分に投資が必要な時代なのだ。でも、それは○○通信講座とか、どこかの学校に入ったからといって、自動的に手に入れられるものではない。自分が何を求めているのかを突き詰めていない限り、はやりの資格をとったからといって、何の役にも立たないはずだ。
何を求めているかということは、言い換えると、何を美しいと思うかということだろう。
美しい建物、美しい車、美しい道、美しい山、美しい海、美しい人、美しい心...。
それぞれが思う美しさの基準は違うだろう。だけど、人々に受け入れられる美しさは、ある程度一致するのではないだろうか。もし、自分の求める美しさが他人と違えば、それはそれで、個性的なものを創造する可能性を秘めていることになるかも知れない。
我々の祖先たちは、常に美しさを追い求めてきたと思う。そして、その美しさを後世に残す努力をしてきた。だから、その歴史を振り返ることで、自分が何を美しいと思うのか、何を大切にしたいのかがわかるはず。
美しいものに囲まれて生活している人は、物事の美醜、善し悪しに敏感になる。つまり感性が鋭くなる。常に、美しいものに接することが、遠回りのようだが、生きる力をつける最も良い方法だと思う。
あなたの家は美しさにあふれていますか?
学校・職場には美しいものがありますか?
住んでいる街のいたるところに美しいものがありますか?
あなたが知っている、みんなに知ってもらいたい美しいものを思い起こしてみてください。それが、あなたの大切したいもの.....求めているものだと思います。
最近Gyaoの大映特集を見た。
映画は好きな方だが、筋金入りの映画ファンと違って、若い頃に映画をむさぼるように見たという記憶はない。でも、幼い頃の記憶の中には、テレビの深夜劇場で観た数々の名作の断片が消えずに残っている。今は、便利な世の中になって、昔の映画でも大抵のものならネット上で見ることが出来る。
大映と言えば、特撮怪獣映画でゴジラと並ぶガメラを生み出したことで有名だ。その他に、大魔神なんかは、私と同年代なら誰しも真似をして遊んだことがあると思う。
特撮映画だけではなく、勝新太郎の座頭市や市川雷蔵の眠狂四郎といった他にはない型破りで個性的なヒーローを生み出している。
今回、私が惹きつけられたのは、勝新太郎主役の「悪名」シリーズと「座頭市」シリーズだ。
「悪名」は一匹狼の八尾の朝吉親分が戦前・戦後の社会の底辺で食い物にされそうになる人々を助けるために、身を捨てて悪党に立ち向かうお話。
「座頭市」は盲目の按摩師でやくざの市が、権力と欲望にとりつかれた連中から、命を追われる日々の中で、身を守るために数々の死闘を重ねるとともに、関わりあった罪なき弱き人々を助けるというお話。
この2シリーズに共通しているのは、主人公が社会の下層に位置しているということ。市にいたっては肉体的ハンディも背負っている。現代のアイドルやイケメン俳優が演じるようなドラマの主役とは程遠く、泥臭く、暴力的で、教育委員会やPTAなんかからは、まず間違いなく目の敵にされそうな内容だ。
だが、私にはこの2シリーズの作品で描かれている主人公がとても美しく見える。
現代のアイドルなどが出演する、こじゃれた映画やドラマよりもずっとずっと美しく見えるのだ。私には、最近の流行映画やドラマの多くは無菌状態の美しい舞台で演じられる絵空事のように感じられる。しかし、現実の人間社会は、権力欲、金欲、色欲がうずまき、目に見えないところで理不尽なことが行われており、決して美しくないものだ。その汚さを意図的に覆い隠して構成された作品にはリアリティがない。だから、共感することができない。
市や朝吉のような弱い立場、もっと言うと蔑まれる立場にあるものの方が、世の中の本当の姿を正しく見通せるのだと思う。そして、その理不尽さを骨身に染みて分かっているからこそ、無私無欲で立ち向かうことができる。もちろん、彼らには失うものがないということもあるだろうが、ぎりぎりの状況の中で、時には死をも覚悟して何かに立ち向かっていかなければならないのが、生きる者の本来の姿ではないだろうか。
本当の優しさとか強さは、そんな真剣な生きる営みの中からしか生まれてこないと思う。
座頭市 DVD-BOX/角川エンタテインメント

¥39,690
Amazon.co.jp
悪名 DVD-BOX/角川エンタテインメント

¥33,075
Amazon.co.jp
映画は好きな方だが、筋金入りの映画ファンと違って、若い頃に映画をむさぼるように見たという記憶はない。でも、幼い頃の記憶の中には、テレビの深夜劇場で観た数々の名作の断片が消えずに残っている。今は、便利な世の中になって、昔の映画でも大抵のものならネット上で見ることが出来る。
大映と言えば、特撮怪獣映画でゴジラと並ぶガメラを生み出したことで有名だ。その他に、大魔神なんかは、私と同年代なら誰しも真似をして遊んだことがあると思う。
特撮映画だけではなく、勝新太郎の座頭市や市川雷蔵の眠狂四郎といった他にはない型破りで個性的なヒーローを生み出している。
今回、私が惹きつけられたのは、勝新太郎主役の「悪名」シリーズと「座頭市」シリーズだ。
「悪名」は一匹狼の八尾の朝吉親分が戦前・戦後の社会の底辺で食い物にされそうになる人々を助けるために、身を捨てて悪党に立ち向かうお話。
「座頭市」は盲目の按摩師でやくざの市が、権力と欲望にとりつかれた連中から、命を追われる日々の中で、身を守るために数々の死闘を重ねるとともに、関わりあった罪なき弱き人々を助けるというお話。
この2シリーズに共通しているのは、主人公が社会の下層に位置しているということ。市にいたっては肉体的ハンディも背負っている。現代のアイドルやイケメン俳優が演じるようなドラマの主役とは程遠く、泥臭く、暴力的で、教育委員会やPTAなんかからは、まず間違いなく目の敵にされそうな内容だ。
だが、私にはこの2シリーズの作品で描かれている主人公がとても美しく見える。
現代のアイドルなどが出演する、こじゃれた映画やドラマよりもずっとずっと美しく見えるのだ。私には、最近の流行映画やドラマの多くは無菌状態の美しい舞台で演じられる絵空事のように感じられる。しかし、現実の人間社会は、権力欲、金欲、色欲がうずまき、目に見えないところで理不尽なことが行われており、決して美しくないものだ。その汚さを意図的に覆い隠して構成された作品にはリアリティがない。だから、共感することができない。
市や朝吉のような弱い立場、もっと言うと蔑まれる立場にあるものの方が、世の中の本当の姿を正しく見通せるのだと思う。そして、その理不尽さを骨身に染みて分かっているからこそ、無私無欲で立ち向かうことができる。もちろん、彼らには失うものがないということもあるだろうが、ぎりぎりの状況の中で、時には死をも覚悟して何かに立ち向かっていかなければならないのが、生きる者の本来の姿ではないだろうか。
本当の優しさとか強さは、そんな真剣な生きる営みの中からしか生まれてこないと思う。
座頭市 DVD-BOX/角川エンタテインメント

¥39,690
Amazon.co.jp
悪名 DVD-BOX/角川エンタテインメント

¥33,075
Amazon.co.jp