トゥルースの心の薬箱 -5ページ目

トゥルースの心の薬箱

身動きのとれないあなたへ送るメッセージ。未来へ向かうための心のクスリになることを願っています。

人は完璧ではないので、たまに失敗をする。
日頃、近寄りがたい人が、たまに何かをやらかすと、かえってご愛敬になる。

だが失敗が多すぎる人は、日頃の生活態度や心の持ちように問題があるのだろう。やらかした失敗は、もう取り消すことはできないから、同じことを繰り返さないように、よく注意して、一から信頼を取り戻す努力をするしかない。

さて、心の薬箱のお題としては、少し外れてしまうが......。

本人にそのつもりはなくて、起こしてしまった事件(case)は「事故」だろう。

じこ 1 【事故】
(1)悪い出来事。思いがけず起こった災難。
 「交通―」「―を起こす」
 
  以下略【三省堂 大辞林】

英語で言うとアクシデント(accident)とかトラブル(trouble)というところか。
これに対して、本人が確信犯である事件(case)を「事故」とは呼ばない。

もし重大なものであれば、それは「犯罪(crime)」だ。

明らかに「犯罪(crime)」であることが間違いない事件が、加害者と被害者の所属先の関係によって、捻じ曲げられたとしたら、被害者はその憤懣をどこにぶつけ、傷ついた心を癒す術を求めればよいのか?

百歩譲って、最終的な裁きが、その力関係によって骨抜きになったのならば、納得はできないにしても、まだ、そこに怒りをぶつけることができる。残念ながら、世の中には理不尽なことは山ほどあるのだから....。

しかし、被害者側にあって、被害者を守る責任ある立場の人間が、誰が見たって「犯罪(crime)」である事件を「事故(accident)」だと言いきってしまったなら、被害者はどこに怒りをぶつければいいのだ。
そんな組織に....社会に.....国に属してしまった自分自身を責めろというのか?

例え、相手が、厳しく裁くことができない、難しい相手だとしても、結果がわかっているのだとしても、絶対に曲げてはいけないことがあるだろう!!!

絶対に間違っている!
配慮する相手が違う!

事件の、犯罪の被害者へこそ最大の配慮をしなければいけない。
それが、「思いやり」というものだ。

「思いやり」にあふれた人間でありたいと思う。
「思いやり」にあふれた人たちに囲まれたいと思う。

そして、この国が「思いやり」にあふれた誇り高い国であって欲しいと思う。
職場の同僚と話をしていて、「いい人」と「人のいい人」は似てるようだけど違うということになった。

どう違うの?と聞いてみたが、同僚はうまく説明できない。
じゃあ、今まで出会った人の中で、誰が「いい人」と思う?と聞いてみたが、すっきり答えが返ってこない。

さて、あなたはどう思うだろうか?

あなたの周りにも1人や2人いるだろう。人に頼まれれば、自分にとって何の得にもならないことでも、もしかしたら損になることでも快く引き受けてくれる人が!
たぶん、こんな人が「人のいい人」と言われるのだと思う。

つまり、「人のいい人」は周りの人にとって「都合のいい人」になっていることが多い。

本人には、さほど損得の意識がないだろうから何とも思っていないかもしれない。
一方、頼みごとをした方は感謝すべきなのだが、この「人のいい人」という言葉の響きには、どこか、馬鹿にしたようなニュアンスがある。だから、感謝されるどころか、しめしめ、またうまく利用できたと思われていることも多いのだろう。

相手の頼みを、自分の意思で引き受けているわけだから、見た目は対等な....何て言ったらいいかなぁ....取引かなぁ。表面上は対等な取引なんだけれども、その見えない心の中では、利用する側とされる側という上下関係になっている場合が少なからずあるのだろう。

それじゃ、「いい人」とはどんな人のことを指すのだろうか?

大金をくれるからいい人?
ひいきにしてくれるからいい人?
怒らないからいい人?

たとえ、何億の大金をポンとくれたとしても、大きな便宜を図ってくれたとしても、優しくしてくれたとしても、その人を「いい人」と思えないケースはあるだろう。

自分にとって、特別なことをしてくれるのが「いい人」というわけではないのだ。
その人の言い方、行動の仕方、表情、その他もろもろの発せられるメッセージが、結果として、受け取る側を幸せな気分にしてくれる...そんな人のことを「いい人」と感じるのではないだろうか。

だから、「いい人」は自分にとって「心地いい人」

多くの人が「心地いい」と感じる人が、本当に「いい人」ということなのだろう。

「あっ、わかった!」と、終業間際に同僚が叫んだ。
「『ありがとう』と『ごめんなさい』がちゃんと言える人が、いい人だと思う。」

なるほど、素直に人の好意に感謝してくれて、潔く過ちを認めて詫びることのできる人は、接する相手にとっては、本当に「心地いい人」だろう。

あなたの周りには、「心地いい人」がたくさんいますか?
そして、あなたは、周りの人にとって「心地いい人」になっていますか?
多くの親は子供に勉強しなさいと口うるさく言い聞かせる。
ところが、親が勉強しろと言う家の子供に限って、なかなか勉強しないものだ。もし、精を出しているように見えても、いやいやのことが多いのではないか。

昔は義務教育がなかったので、いわゆる学校の勉強が生きることに直結しない家庭の親は、子供に勉強しろとは決して言わなかった。

「本ばかり読んでないで、もっと、家の仕事を手伝え。」
「学問は銭にはならん。」
まあ、こんな具合に。

生まれた時から、運命が決まっていて、農家の子は農家に、漁師の子は漁師になるしかないとはっきりしている場合は、余計な勉強をしている暇があったら、その家業の修練を積む方が合理的だろう。社会が安定していて、人々の社会での役割が固定されているならば、その定めに従って、先輩たちの言うことを、よく聞いて一人前になることが、社会で生き抜くすべとなる。

だが、今の世の中は、高度に発展していて、社会の中での役割分担も細分化されてしまっている。様々な産業が存在し、昔に比べれば、はるかに多くの職業が存在している。そして、それぞれの職業で要求される知識・技術も多種多様だ。

そして、社会が複雑になり同時に変化が激しくなってくると、自分がどんな役割を果たせばいいのかが分かりづらくなる。これは、家業がある場合も同じだ。変化の激しい社会では、伝統的な職業も、昔と同じようなやり方を続けていては立ち行かなくなる。

高度に発展した複雑な社会では、もはや、地域の長老たちや職場の親方たちの知恵や経験だけを頼りに、生き抜いていくことは難しい。
しかし、学校は複雑になった社会を生き抜いていくための知恵を教えてくれる。
だから、この複雑な社会を理解し、生きるすべを身につけるために、環境が許す限り学び続け、新しい考え方に触れるべきだと思う。
この複雑な社会では、知らないことで不利な状況に追い込まれたり、損をしたり、時には命を落とすこともあるのだ。

さて、学歴社会という言葉が叫ばれるようになってから随分経つ。出来るだけ上級の学校へ、それも社会からの評価の高い学校へ進学することが、よりよき職業を得たり、幸せな人生を送るためのパスポートになるのだと。でも、今の社会では、学歴が有利に働くことは間違いないが、必ずしも無敵のパスポートにはならない。

だが、今、あるいは、これからの社会に必要とされるのが、どんなことなのかを理解するためには、多くのことを学ばなければならない。その理解の助けとなる最低限の勉強(小学校、中学校)は必要。だからこその義務教育だろう。
そして、行けるなら高校、大学、大学院と続く...。 その結果、この社会と自分自身に対する理解を、より深めることができ、より確かな生きるすべを身につけることにつながる。

さて、それでは学歴がなければ生きていくことができないのか?
もちろん、そんなことはない。でも、環境が許す限りの高等教育を受けた方がいいと思う。

しかし、絶対に間違っていけないのは、学歴がパスポートなのではなく、確たる何かを学び取った、身に付けた自分自身が、その自信こそが無敵のパスポートになるということだ。

さて、表題「なぜ勉強しなければいけないの?」に立ち戻ろう。

トルゥースのQ&A(あくまでもトルゥースの考えです。)

Q1
なぜ、勉強しなければならないか?
A1
生きるために必要だから。

Q2
勉強とは高い学歴をつけることか?
A2
いいえ、勉強は自分が生きるための自信となるものを身につけること。

Q3
勉強は学校でしかできないのか?
A3
いいえ、どこでもできます。それから、勉強というのは、学校で学問をすることだけを意味しません。辞書で見ると、物事に精を出すこと。努力すること。経験を積むこと。これ全部勉強です。※ただ、値引きは商売人にならないとできませんが(笑)

べん‐きょう〔‐キヤウ〕【勉強】[名](スル)

1 学問や技芸などを学ぶこと。「徹夜で―する」「音楽を―する」
2 物事に精を出すこと。努力すること。 「何時までもこんな事に―するでもなし」〈福沢・福翁自伝〉
3 経験を積むこと。「今度の仕事はいい―になった」
4 商人が商品を値引きして安く売ること。「思い切って―しておきます」
[ 大辞泉 ]