同世代ということもあり、中森明菜さんの歌が好きだ。
彼女の歌には魂が込められていると感じる。
話は変わるが、この国に住んでいると、つい平和・豊かさは当たり前だと思いがちになる。
それでも、最近は所得格差が広がってきていて、新しい貧困層が増大していると言われてはいる。
しかし、世界に目を向けると、大多数の人々は貧困にあえいでいて、一握りの先進国だけが豊かさを享受している。
この国のどんなに貧しい人でも、世界の大多数の人々から見れば羨望の的になる
大多数の世界の国々に比べて、ずっと楽に生きることができるのだ...この国では!
そのせいだろうか?「必死」という言葉が死語になってしまった気がする。
「必死」でなくても生きていけるのであれば、何もあえて必死に生きる必要はない。
困難なことを、より安全に、より簡単に誰にでもできるようにすることが進歩であり、そのために、先人たちが、日夜努力を続けた結果なのだから。
そして、その結果として、多くの人々が楽に生きていけるようになった。
でも、その恩恵にあずかっているのは、世界全体から見ればわずか一握りの人たち。
多くの人々は、文字通り「必死」で生きている。
私たちは、意識するとしないとに関わらず、心のどこかで、必死に生きること、あるいは必死に生きる人に対する尊敬の念を持っていると思う。
「必死に生きる」は、少し言い方を変えると「魂を込めて生きる」ということではないか?
......
どんな時でも魂を込めて生きていきたいと思う。
自分が現在置かれている状況に不満だったり...
悲しみを感じている時...
人は、未来に向かうために、何か希望の光を探そうとする。
つまり、こんな風に!
今日、これをやれば、明日はこうなるだろう...
週始めに、これをやって、週半ばにここまでやれば、週末にはこうなる...
年の初めに、こんな計画をたてて、計画通り実行すれば、年末にはこうなるだろう...
でも、みなさんも、よくご存じのように、計画通りに進む計画なんていうのは、まずありえない。
自分が原因であったり、まわりのせいだったり、何かしらの問題が発生するのが普通だ。
計画をたてた時から、ある程度、修正されることが予想されているのが計画。
だから、計画をたてたその時が、まさに、最高に希望の光に満ち溢れた瞬間となる。
計画と結果にあまりに差があると落胆が大きい。
ならば、いっそ計画などたてずに、行き当たりばったりになれば、少しでも成果があると満足できるのかもしれない。
でも、これでは大きな成果は望めない
つまり、行き当たりばったりにすると、まず目標の達成なんて夢のまた夢...
だから、どんな時でも、どんな場面でも計画は必要
でも、達成しなければいけない何かが、自分の現状・能力に対して大きすぎる場合は、なかなか現実的な計画をたてることはできない。
だからと言って、無計画では、結果はふたを開けるまでもなく絶望的だ。
状況が悪い場合には、細かな計画はたてられないだろう。逆に言うと、細かな計画を立てられる状況というのは、既に良い状況にあるのだと言ってよい。
こんな時は、目標の根本を見つめなおし、柱となる方法、大雑把な方向性を見極めて、その方向に半歩でも一歩でも進むしかない。
目に見える成果がなかなか見えず、苦しい道のりになるけれど、方向性さえ間違っていなければ、いつかは目標地点にたどりつくはず。いや、たどりつくと信じて歩き続けるしかない。
おそらく、誰でも、受験だったり、就職、あるいは仕事上のことで、目標をたてて、その達成をめざして、こんな風に、日々過ごしているのではないか。
けれども、自分の人生の到達点、目標を見つめながら過ごしているだろうか?
日々の勉強とか仕事とかを達成することの延長に未来があるのだから、日々精進をすれば、人生の目標を達成出来ると考えている?
確かに、そう考えても、概ね間違いないと思う。
でも...
日々の課題をこなせば、人生の目標を達成できるのならば、一般的に考えられている、まっとうな道を進み、誰からも羨ましがられる立場にいる人は、すべて目標を達成できたことになる。
果たしてそうだろうか?
このような人たちの中にも、現状に不満を抱き、悲しみを抱えている人は少なからずいるはずだ。
受験とか就職とか、あるいは日々の仕事に対する、成功の判断基準は比較的わかりやすい。
けれども、人生の目標、到達点は人それぞれ違うと思う。
まず、ひとりひとりが生まれ持った個性が違う。
もし、すべての人々が同じ場所で生まれ、同じ場所で、同じように育てられるのであれば、同じような個性を持ったグループに簡単に色分けできるかも知れない。
でも、生まれおちたその時から、人は自分の置かれた環境に大きな影響を受けて、育っていく。
その環境は千差万別、しかも、長く生きれば生きるほど、複雑になっていく場合も多い。
何が言いたいかというと、人それぞれ、人生の目標は違うのだということ。
だから、その目標をたてることができるのは自分しかいない。
流行がこうだから、みんなが、こんな生き方がかっこいいというから、親がこうしなさいというから、先生がこうしなさいというから...。
もちろん、小さい頃や学生時代は、経験不足でまだまだ未熟だから、親や先生、年上の人の教えを請う必要はある。
しかし、成長をかさね、社会人となれば、もちろん、まわりの人から、生活上や仕事上のアドバイスを受けることは可能だけれども、自分の人生の目標・到達点について他人からのアドバイスに頼ることは不可能だ。
なぜなら、それは、本人にしかわからないことだから...
だから、常日頃、本人がそのことを意識しなければ、間違った方向に向かって歩み続けることになる。
難しい状況に身を置いていればいるほど、進むべき... いや、自分が本当に、心の底から進みたい目標地点を、その方向を見誤ってはいけない...
あなたは、今、どこへ行こうとしていますか?
そして、その行き先は、本当にあなたが望んでいる場所ですか?
destination音節des・ti・na・tion 発音記号/dèstənéɪʃən
【名詞】【可算名詞】
1目的地,行き先,到着地[港].
用例
arrive at one's destination 目的地に到着する.
2(手紙や荷物の)届け先,あて先.
[DESTINE+‐ATION]
【研究社 新英和中辞典】
悲しみを感じている時...
人は、未来に向かうために、何か希望の光を探そうとする。
つまり、こんな風に!
今日、これをやれば、明日はこうなるだろう...
週始めに、これをやって、週半ばにここまでやれば、週末にはこうなる...
年の初めに、こんな計画をたてて、計画通り実行すれば、年末にはこうなるだろう...
でも、みなさんも、よくご存じのように、計画通りに進む計画なんていうのは、まずありえない。
自分が原因であったり、まわりのせいだったり、何かしらの問題が発生するのが普通だ。
計画をたてた時から、ある程度、修正されることが予想されているのが計画。
だから、計画をたてたその時が、まさに、最高に希望の光に満ち溢れた瞬間となる。
計画と結果にあまりに差があると落胆が大きい。
ならば、いっそ計画などたてずに、行き当たりばったりになれば、少しでも成果があると満足できるのかもしれない。
でも、これでは大きな成果は望めない
つまり、行き当たりばったりにすると、まず目標の達成なんて夢のまた夢...
だから、どんな時でも、どんな場面でも計画は必要
でも、達成しなければいけない何かが、自分の現状・能力に対して大きすぎる場合は、なかなか現実的な計画をたてることはできない。
だからと言って、無計画では、結果はふたを開けるまでもなく絶望的だ。
状況が悪い場合には、細かな計画はたてられないだろう。逆に言うと、細かな計画を立てられる状況というのは、既に良い状況にあるのだと言ってよい。
こんな時は、目標の根本を見つめなおし、柱となる方法、大雑把な方向性を見極めて、その方向に半歩でも一歩でも進むしかない。
目に見える成果がなかなか見えず、苦しい道のりになるけれど、方向性さえ間違っていなければ、いつかは目標地点にたどりつくはず。いや、たどりつくと信じて歩き続けるしかない。
おそらく、誰でも、受験だったり、就職、あるいは仕事上のことで、目標をたてて、その達成をめざして、こんな風に、日々過ごしているのではないか。
けれども、自分の人生の到達点、目標を見つめながら過ごしているだろうか?
日々の勉強とか仕事とかを達成することの延長に未来があるのだから、日々精進をすれば、人生の目標を達成出来ると考えている?
確かに、そう考えても、概ね間違いないと思う。
でも...
日々の課題をこなせば、人生の目標を達成できるのならば、一般的に考えられている、まっとうな道を進み、誰からも羨ましがられる立場にいる人は、すべて目標を達成できたことになる。
果たしてそうだろうか?
このような人たちの中にも、現状に不満を抱き、悲しみを抱えている人は少なからずいるはずだ。
受験とか就職とか、あるいは日々の仕事に対する、成功の判断基準は比較的わかりやすい。
けれども、人生の目標、到達点は人それぞれ違うと思う。
まず、ひとりひとりが生まれ持った個性が違う。
もし、すべての人々が同じ場所で生まれ、同じ場所で、同じように育てられるのであれば、同じような個性を持ったグループに簡単に色分けできるかも知れない。
でも、生まれおちたその時から、人は自分の置かれた環境に大きな影響を受けて、育っていく。
その環境は千差万別、しかも、長く生きれば生きるほど、複雑になっていく場合も多い。
何が言いたいかというと、人それぞれ、人生の目標は違うのだということ。
だから、その目標をたてることができるのは自分しかいない。
流行がこうだから、みんなが、こんな生き方がかっこいいというから、親がこうしなさいというから、先生がこうしなさいというから...。
もちろん、小さい頃や学生時代は、経験不足でまだまだ未熟だから、親や先生、年上の人の教えを請う必要はある。
しかし、成長をかさね、社会人となれば、もちろん、まわりの人から、生活上や仕事上のアドバイスを受けることは可能だけれども、自分の人生の目標・到達点について他人からのアドバイスに頼ることは不可能だ。
なぜなら、それは、本人にしかわからないことだから...
だから、常日頃、本人がそのことを意識しなければ、間違った方向に向かって歩み続けることになる。
難しい状況に身を置いていればいるほど、進むべき... いや、自分が本当に、心の底から進みたい目標地点を、その方向を見誤ってはいけない...
あなたは、今、どこへ行こうとしていますか?
そして、その行き先は、本当にあなたが望んでいる場所ですか?
destination音節des・ti・na・tion 発音記号/dèstənéɪʃən
【名詞】【可算名詞】
1目的地,行き先,到着地[港].
用例
arrive at one's destination 目的地に到着する.
2(手紙や荷物の)届け先,あて先.
[DESTINE+‐ATION]
【研究社 新英和中辞典】
学生時代の友人が亡くなってから、もう10年以上経つだろうか?
あまりにも突然の訃報だった。既に葬式も終わった後だったが、知らせを聞いた私は、学生時代の仲間を集めて、彼の郷里へお参りに行った。それから、私の生活は激しく変化し、故郷に戻ってきたが、数年前、比較的近い彼の郷里のお墓参りをした。彼が亡くなった当時には御存命だったお父上も、既にお亡くなりになっていて、建替えられた大きなお墓には、彼の名とお父上の名が並んで刻まれていたのを覚えている。
非常に頭の良い人だった。たまたま、同じ学生時代を過ごしたが、彼の志望通りになっていれば、決して会うこともなく、きっと、動物学とか生物学の研究者にでもなっていたのではないかと思う。
彼は、動物王国で有名なムツゴロウ先生のファンだった。
勉強ができるだけでなく、音楽や美術のセンスもあり、何かイベントごとをやる時には欠かせない存在だった。ただ、ぜんそく持ちで体が弱かったこともあって繊細すぎる部分もあった。でも、そのせいか、モノの美醜や人の善悪に敏感だったので、何か判断に困った時には、彼の意見がとても助けになったと記憶している。
私は激しく変化する生活の中で、よく、もし彼が生きていれば、私にどんな助言をしてくれるだろうか?
と心の中で問いかけたものだ。
あまりに生活がバタバタとしていたせいで、記憶と記録がはっきりしないけれど、確か10月24日か10月25日が彼の命日だったと思う。
今の私を見て、彼は何と言うだろうか?
私は、まだ、しばらく、こちらの世界にいなければならないようなので、気が向いた時にでも、空の上から私のことを見ておいてくれ!そちらに行った時には、まず最初に聞くから...。
「どんな風に見えた?俺の人生」って!