「最近のいじめは陰湿だ! 昔はこんなことはなかった!」などと聞くことがある。
さて、本当にそうか?
「相手の肉体的・心理的苦痛を快楽的に楽しむことを目的とする」のが、【いじめ】であるならば...。
陰湿でない【いじめ】などは存在しない。
時代が違えば、道具立てや方法が変わることはあるかもしれない、だから、その変化と社会背景などを研究することは大切だ。過去と現在を比べることも 意味があるだろう。
けれども、いつの時代でも、いじめは、とても陰湿な行為であって、被害を受ける当事者にとっては、耐えがたい行為であることに変わりはない。
おそらく、人類が誕生してから、現在まで、いじめが存在しなかった時代はなかっただろう。
私は、いじめを無くすことは不可能だと思っている。
だからといって、いじめを無くす努力をする必要がないと言っているのではない。
無くならないものを、無くそうとする、一見、無駄な努力を根気強く続けることで、最悪の結果を防ぐことができると考えている。
だが、無くすことが不可能であるのなら、どう対処するかを考えることの方が、もっと重要だろう。
一般的にいじめの舞台となるのは、学校の現場。しかし、学校に限らず、集団で活動する現場では、どこでも、いじめが発生する可能性がある。職場、町内、国内...国際社会、人々が集団で活動すれば、その集団内であるいは他の集団との関係の中で、いじめが発生するだろう。
だから、いじめは子供だけの問題ではなく、誰にでも関係があることであり、他人事ではない。
被害者がいじめに耐えきれなくなった時、最悪の場合は、自らの命を絶ったり、相手の命を奪ったりする。また、直接は無関係の人々に危害を加える場合もある。
辛さに耐えることができず、解決方法が見いだせない被害者は、行き場を失うのだろう。
その【行き場を失う】ということが、最悪の結末を引き起こす。
あなたは、むやみに人を追い詰めたりしたことはないだろうか?
明らかに、追い詰められなければならない人たちは存在する。
しかし、日常生活の中で、絶対的に追い詰められるべき人というのは、そんなに多くはいないだろう。
企業や国際関係の場合でも、通常は駆け引きをしながら、落とし所を探ったり、仲介者を探したりして、お互いを完全に追い詰めることはしない。
土砂降りの中で、遠い目的地を目指して、傘もささずに歩き続けると、途中で、くじけてしまうかもしれない。
でも、途中で誰かが、雨宿りのために軒下を貸してくれたりすれば...なんとか、目的地までくじけずに辿りつけるのではないか?
追い詰められた状況の中でも、隠れ家や休憩所のような存在になってくれる人がまわりにいれば、完全に追い詰められることはない。
いじめがあったとしても、孤立することさえなければ、なんとかしのげるのではないか?
いじめをなくすことはできないけれど、最悪の結末を避けることはできる。
先ず、あなたが、いじめられている人や追い詰められている人の雨宿りの場所になってあげるればいい。
きっと、そんなに難しいことではないと思う。
【いじめ】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/11/09 12:19 UTC 版)
いじめ(苛め、虐め、英: Bullying)とは、相手の肉体的・心理的苦痛を快楽的に楽しむことを目的として行われるさまざまな行為であり、実効的に遂行 された嗜虐的関与[1]。
[1] 内藤朝雄「いじめの社会理論」