人の間にいるのが人間。
つまり、"ひとりでは生きていけない"のが、私たち人間なんだよと、
結婚式のスピーチとか卒業式とかで、誰でも一度や二度は聞いたことがあるだろう。
人には、誰にでもそれぞれ都合がある。だからと言って、もし、それぞれが自分の都合に合わせて好き勝手なことをしていれば、まわりの人たちに不愉快な思いをさせてしまったり、迷惑をかけてしまうことになる。
でも、他人の気持ちはなかなか理解しがたいもので、往々にして、私たちは知らず知らずの内に、まわりに不愉快な思いをさせてしまいがちだ。
だから、大人たちは、こどもたちに
"思いやりをもって接しましょう"とか、"まわりの人にやさしくしましょう"とか、教えようとする。(少なくとも日本では)
でも、優しくしたり、思いやりをもって接することによって、当の本人が損をしたり、つらい目に合いそうになることもある。
人の求めるレベルはそれぞれだから、我が身を守りつつ、相手を尊重しようと思えば、相手によって、接し方に微妙なさじ加減が必要になる。
そんな面倒臭いことをするぐらいなら、好き放題にして、できるだけ自分のわがままを通す方がいいと考えて行動するのも、ある意味理にかなっているかも知れない。
もし、拒絶された時には、関係を断ち切ってしまえば、まわりには自分を拒絶しない人、あるいは拒絶できない人だけが残り、常に思うがままに振る舞えることだろう。
そんなハタ迷惑な人が、関係するすべての人々から受け入れられているとは考えにくいので、本人が自覚するとしないとに関わらず、常に、自分のまわりに、自分のせいで苦しんでいる人がいると考えて間違いないだろう。場合によっては、まわりの人間すべてが、その人のことを快く思っていないことだってありうる。
一方、我が身を守りながら、相手も尊重できる人のまわりには、その人を快く思わない人はそんなに多くいないだろう。むしろ、その人を快く思う人の方が多いはずだ。
そして、間違いなくその人は、自分のまわりにいる多くの人々のことを快く思っているだろう。
相手のことを快く思うということは、突き詰めれば、愛情...愛である。
多くの人に愛され、多くの人を愛することができるということは、人生にとってかけがえのないことだと思う。なぜなら、それはとても嬉しいことであると同時にとても難しいことだからだ。
人は、比較的簡単に、多くの人を愛することはできるかも知れない。
でも、愛されることは、決して思い通りにはならない。たとえ、他人の行動を思うがままに操ることができたとしても、他人の気持ち、感情というものを思いのままに操ることはできない。確かに、詐欺やマインドコントロールという方法もある。でも、そんな悪意のある策略では、一時的には人の心を動かせるかも知れないけれど、何かのきっかけや助けがあれば、いずれわかってしまうものだ。
当たり前のことだが、この人生の宝物は、ひとりきりでは、決して手に入れることができない。
誰かと関わることなしには、手に入れることはできない。
関わる誰かなんて、まわりにいないと思っている人もいるかもしれないけれど、孤高の芸術家のような人でも無い限り、家族がいたり、家族がいなくても、日常生活の中で、あるいは学校や会社で、誰かと関わりながら生きているはずだ。
だから、この宝物の原石は、必ずあなたのまわりに転がっているはずなのだ。
どうか、この原石の存在を見逃さないで欲しい。
人と関わることを避けないで欲しい。
もちろん、いいことばかりではない。人と関わることで傷つくことも多いだろう。長い時間をかけて積み上げてきた関係が、一瞬で崩れ去り、大きなダメージを受けることもあるだろう。
とりわけ、男女の関係の場合は、ダメージも大きくなる。しかし、喜びも大きい。そのプラス面・マイナス面の両方が生きる力になる
"男を苦しめるのも助けるのも女"
"女を苦しめるのも助けるのも男"
は、真実だろう。
どうか、あなたの周りにある宝物の原石に気づいて欲しい。
磨くのに骨が折れる原石だけれども、どうか根気よく磨き続けて欲しい。
それが、間違いなく、あなたのかけがえのない宝物になるのだから!