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二世が祝福を全うする上で必ず必要になる「信仰」とは何だろうか。

 

ポイント④自己牧会出来る

☆自己牧会の方法

(4)心情革命「心情文化とは何だろうか①」

 

前回まで、二世が幸せな家庭になる為に心情革命は必要なのかという事を書いてきた。

 

これだけ心情革命が必要だと言った後でなんだが、心情文化とはそもそも何だろうか。 

まず「文化」に対して。

自分の解釈だが、文化とは「連続性を持った営み」と言えるのではないだろうか。代々お正月に親戚が集まるA君の家は、そういう慣例がその家の文化となる。

そう考えると、心情文化というものも、代々受け継いでいかないと文化にならないし、残らないし、広まらない事になる。ご父母様が、いくらその生涯を掛けて実体で心情を証ししたとしても、その心情を血統を継ぐ者がいなければ全て消えてなくなる。文化或いは文明とは儚いものだ。しかし、その連続性の中で残る文化こそ、人間が幸せになる為に必要なものと言えるのかもしれない。

そう考えると人類史の中で絶えず維持し続けている文化である「家族」というコミュニティーは正しく自分達の幸せに必須な文化なのだろう。

そのような家族という文化が今の日本において危機に瀕しているので、保守的な意味も含め、祝福家庭が心情文化を通して社会に利益を与えるとしたらそこに意味があるとも思う。

 

心情文化というのは別に家庭だけの文化では無いだろう。

自分達の目指している理想社会は天一国なのだが、そこにも今と変わらず、企業あり、芸術もあり、科学もあり、学校もあるだろう(多分)。では今と何が違うのかというとそこで生まれる文化が違う。

「愛した対象が喜んでいる姿を通じて喜びたい」という心情で生活する人達が企業でお金を儲ければ隣人に施そうとするし、心情で科学発明すれば人類の為に惜しみなく投資するだろう。そのように心情で生きる人は、どこでも神様の愛を実践するようになる。

 

心情文化を語る幅が広くなりすぎても駄目なので、とりあえず「家庭」というカテゴリで心情文化を考えてみる。家庭が心情、愛の基地になるからだ。

 

「愛した対象が喜んでいる姿を通じて喜びを得たい抑えられない衝動心」というのが心情の定義なのだが、簡単な話、夫の喜びが私の喜び、妻の喜びが私の喜び、子供の喜びが自分達の喜びという思いで生活する事が、心情で生活するという事でその中で生まれる文化、例えば「自分の家では毎週日曜にはお母さんの為に肩を揉むんだ」などを心情文化と言って差し支え無いと思う。

 

しかし、心情で生活するにも自分達が絶対忘れてはいけないのが神様の存在だ。