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https://ameblo.jp/from-secondgeneration/entry-12320991982.html
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二世が祝福を全うする上で必ず必要になる「信仰」とは何だろうか。
ポイント④自己牧会出来る
☆自己牧会の方法
(4)良心革命「本性を引き出す自己牧会の必要性」
前回は、自分の堕落性(囚われ)を脱ぐためにやってみようと色々書いた。
正直、堕落性を脱ぐ為にする事なんていうのは昔から色々言われてきたのかもしれない。
しかし本性で心から喜びを実感しながら変わっていくというのは蕩減時代では中々難しかったのではないだろうか。本性というよりは、いかに自己否定し、いかに摂理的アベルに従順に屈服するかが全てだったのではと親達を見ながらしみじみ思う。50代を迎えても尚アベル(教会長?地区長?)に条件立ててますと報告していた姿は、信仰的と思うと同時に、言葉が合ってるか解らないが不憫というかなんとも言えない想いさえ抱いた。
今の二世を見ていると、もうそんなアベルに従順にとかカインなんだからとか正直通用しないと感じる。そんな観念そもそも無いし、もし原理が入っていたとしてもまぁ通用しない。どんなアベルであったとしても従順にという考えでは無く、二世達は実体を本当によく見る。
実際自分の青年部で、凄く厳しいtheカープの一世の人が中心だった時があった。その人は、カープで全員が自分に従順に従っていたその観念をそのまま同じ様に二世にも要求していた。「中心性が解っていない!アベルカインが解っていない!」等々。その時の二世の離れ様は本当に顕著だった。一人また一人礼拝に来なくなり、青年部責任者さえも酷く困っている様子だった。
結局その中心は程なくして人事でどこかへ飛ばされてしまった。
良いのか悪いのかは置いといても、二世が立場だけでは屈服しないし、原理だけでは復活しない事も確かだと思う。
二世にとっては、立場よりも心情の関係の方が遥かに強いし、原理的理屈より実際の自分の経験を価値視する事が多いのではないだろうか。神様に対してもご父母様に対してもご子女様に対しても。そして別にアベルに従わなかったからと言って二世間の繋がりが消える訳では無いので普通に教会に来るし兄弟姉妹間で仲良くしてる。一世ならそうはならないだろう。不思議だ。
摂理史観が混乱している今、二世一人一人がそれこそ謙遜な心で行う良心への祈りを通して、堕落性を脱いで自分の本性を発掘いくべきなのではないだろうか。そして立場ではなく心情文化で結ばれた家庭を築き幸せになっていく道を歩んでいくべきではないだろうか。
自己を牧会する力とは天一国時代に必須な基礎になっていくと考えて間違いないと思う。