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二世が祝福を全うする上で必ず必要になる「信仰」とは何だろうか。

 

ポイント④自己牧会出来る

☆自己牧会の方法

(4)良心革命「原理を知って尚葛藤する理由」

前回は、嫌な事、葛藤する事があった時は「心の目で相手の良心を見つめさせて下さい」と祈ってみようと書いた。

 

何故自分達は、親もそうだが、原理を知りながらも葛藤し合ってしまうのだろうか。今回はそこを突っ込んで書きたい。

 

以下原理講論の総序の内容だ。よく読んで欲しい。

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自分一人の利益のために隣人を犠牲にするときに覚える不義な満足感よりも、その良心の呵責からくる苦痛の度合いの方がはるかに大きいということを悟るときには、決してその隣人を害することができないようになるのが人間だれしもがもつ共通の感情である。それゆえ、人間がその心の深みからわき出づる真心からの兄弟愛に包まれるときには、到底その隣人に苦痛を与えるような行動はとれないのである。まして、時間と空間とを超越して自分の一挙手一投足を見ておられる神御自身が父母となられ、互いに愛することを切望されているということを実感するはずのその社会の人間は、そのような行動をとることはできない。

今まで神を信ずる信徒たちが罪を犯すことがあったのは、実は、神に対する彼らの信仰が極めて観念的であり、実感を伴うものではなかったからである。神が存在するということを実感でとらえ、罪を犯せば人間は否応なしに地獄に引かれていかなければならないという天法を十分に知るなら、そういうところで、だれがあえて罪を犯すことができようか。

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結局、何で原理を知りながらも葛藤し合ってしまうのかと言うと神様を実感しない生活を送っているからなのだ。ブログの最初の方に書いたが、二世が幸せな祝福家庭を築く為にまずもって必要な事は「神様と共に暮らす」という事だ。

なので、良心革命を起こすにしてもこれまで同様神様と共に暮らすという事は常意識して生活しないと革命も意味が無くなってしまう。

互いに愛し合って許し合って欲しいと願う神様の心情を実感する時、どうしてさらに相対者に文句を言おう、主体者の悪口を言おう、他の人を傷つけ責めようとなるだろうか。

 

自分達が本当に平和な世界、平和な幸せな家庭を作りたいと思うなら、神様を実感する生活と言う食口にとっての初心を持ち続ける事は避けられない。それは現実生活の中で徐々に希薄になりがちなのだろうが、何かあった時良心に尋ねる事を通して神様との因縁を深めると同時に本然の自分へと戻る事を癖に出来れば「生き方」として身に付きやすいのではないだろうか。

 

自分達が幸せな家庭を築けなくなってしまう時が来るとすれば、神様と暮らしながら本心で愛したいと思うその人を愛するという初心を忘れて「お金持ちにならないといけない」、「祝福家庭なんだから良い妻・夫でいないといけない」、など外的な事や固定観念に囚われて自分の本当の心に蓋をしてしまった時だろう。