二世が祝福を全うする上で必ず必要になる「信仰」とは何だろうか。ポイントその3の続き。

 

祝福結婚とは、神様を中心とした理念による結婚だ。

小さくは家庭の中で、大きくは世界の舞台で神様の下の平和を目指す人同士の結婚なので、自ずとその生活指針も許し愛し一つになるというご父母様の思想を取り入れていくようになるはずなのだ。

カップルで大なり小なり問題が起こった時、一般のカップルなら自分に合わなけれぱ別れた方が良いかという発想になる。その人と一緒にいてもつまらない、自分が幸せになれそうにないならまぁ別れて当然だろう。そしてまた自分に合う人を探す旅をし始める。これが自由恋愛の価値観だと思う。

しかし祝福結婚ではまずもって二人の価値観の中にご父母様の平和思想があるが故に、仮に問題が起こったとしても信仰生活を通してさらに愛が発展していくようになる。これが一般結婚と祝福結婚の違いの一つでもある。

 

悲しいかな、この信仰を持っていない二世が仮にいるとしたら、その二世同士の家庭というのは、名称は祝福結婚なれどもその価値観は一般的なままなので、問題が起こった時一瞬で壊れていくのは避けられないものだと思う。更に悪い事に、信仰は持ってないのに漠然と「祝福受けたら幸せになれる」なんて思ってるもんだから、こんなはずでは無かったとか、神様やっぱりいないとか、ご父母様おかしいとか変な逆恨みをしてしまう事も往々にしてある。※信仰を持っていて壊れる場合も勿論もある。

 

いやいや!俺は信仰持ってるし!と言う二世も多くいるだろう。しかしよくよく胸に手を当てて顧みて欲しい。本当にそれは信仰なのか。生活の中で神様の心情を体恤する「生き方」になっているだろうか。ジュニアで頑張った!学生会頑張った!STFで完全投入した!FEやってた!そんな過去の栄光にすがってはないだろうか。本当に「今」神様とご父母様と生活してるだろうか。

結局今まで何で二世家庭がことごとく壊れていったかというと、信仰もないのに祝福を受けたからに尽きると思う。いや、本当の信仰を持っていないのに信仰を持ってると錯覚している所から様々な食い違いが発生するのだ。

 

本題。

起こった問題の対処の仕方について、まず理解しておかないといけないのが、「自己牧会」という考え方だ。

私達は、本来神様の子供として個性を完成すればその良心(本心)で神様が願った事をキャッチし、体を通して行動出来るように創造されている。簡単に言えば、電車で座っていたらおばちゃんが入ってきた。それを見たらどれだけ自分が疲れていたとしても、譲ってあげれるのが本来の私なのだ。本来私は誰でも許し愛し一つになりたいと思い、どんな事にも感謝出来るように創造されていて、実際そう出来るのだ。 

しかし、堕落性により、面倒くさい、自分も疲れているなどサタンと授受作用して本来の私ではなくなってしまう。この本来の私では無いと自覚する事も大切なのだが、その状態から本来の自分に転換する事が本当に大切なのだ。心情転換とも言ったりするが、この作業の事を自己牧会という。毎週日曜日、礼拝で教会長より牧会され新しい心情に転換され新しい週を出発するのを、常、自分で自己を牧会していくのだ。これが出来れば多少の問題は大体解決される。自己牧会を出来るようになる所から本当の信仰生活は始まるのではないだろうか。

 

自己牧会のやり方はまた次回。

 

※問題が起こった時、勿論両親や家庭部長等に相談する事は普通にして欲しい。しかし、ここでは信仰を持って自己牧会出来るようになって祝福を受ける事をお勧めするので、あえてそこら辺は省略している。