二世が祝福を全うする上で必ず必要になる「信仰」とは何だろうか。ポイントその3
③神様との心情因縁を持っている
前回書いたように、祝福家庭になる上で心情文化を実践するという事が大切なのだが、二世と言えどもまだまだ完成実体ではないし、さらに堕落性もあるのでいつもこの心情文化を実践出来るかというと、やはり難しいのが現実だ。時に、こんな相手の為に生きたくないなど思う事もあるだろう。
その時必要になるものもこれまた「信仰」だ。
ではどんな信仰(生き方)かというと、「神様と暮らしているか」という事だ。
二世のメンバーに信仰生活ってどんなイメージか聞くと、9割が「祈祷している」「訓読を毎日している」「礼拝ちゃんと出ている」「献金している」など外的なものが返ってくる。
もちろんそれはそうなのだが、信仰生活の本質とは訓読する事でも祈祷する事でも献金する事でもない。それは手段であって目的では決してない。
信仰生活とは、ご父母様のみ言によれば、
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・信仰生活について考える時、その対象はすでに自分ではなく神様なのです。
・信仰は神様に侍る生活。侍りながら共に暮らす生活です。
・一日を中心として生きていくにおいて、与えられた環境と関係をよく結び、そこで新しいことを悟り、その悟ったことを神様と共に因縁を結んでいかなければなりません。
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これがご父母様の信仰生活であり、自分達がそれを相続する為の手段として訓読、お祈りなどの伝統生活があるという事。なので、極端に言うと、いくら訓読しても談判祈祷しても献金勝利したとしても、その動機に神様がいないと、その手段を通して神様と心情因縁を結ばないと、それは結局信仰生活ではないと言わざるを得ないという事になる。
祝福家庭になる以上、それは神様の下の人類一家族を作るという事に他ならない。そしてそれは文字通り神様抜きには有り得ないものだ。当たり前の事を大げさに言っているが、二世がそこを解っていない事の危うさを声を大にして言いたい。
現に今、このような信仰生活の基準を、完璧にでは無いにしろ、意識して生活している二世がどれだけいるだろうか。日々起こる事を神様、ご父母様と繋げて感謝する。親達がやっていた事を相続している二世がどれだけいるだろうか。神様をないがしろにするような生活をしてはいないだろうか。
ただ礼拝に出、ただ集会に参加し、外的な物差しで他の家庭を見比べる。そんな信仰生活の本質を知らない二世達に神の血統を繁殖していく事が果たして出来るのだろうか。そんな神無き生活は決して祝福家庭としての、二世としての価値を生み出すものにはなり得ないと断言したい。
何回も言うが、祝福結婚とは、神様を中心とした一家族理念による結婚だ。神様を喜ばす為に結婚するし、神様が私の幸せを願っているという前提の下神様と一緒に幸せになっていくのだ。
神様が愛している夫、神様が愛している妻だからこそ愛せるのだ。
最低限、結婚するまでには神様と自分との関係性を明確にして、毎日の生活の中で神様ご父母様と共に暮らしている実感を持つくらいは身に付けておけたら良いのではないだろうか。そうでもなってないと、問題が起こった時、身勝手な、信仰とはかけ離れた対処をしてしまう事に繋がる。
では、具体的に問題が起こった時どのような対処をしていくべきなのか。
それはまた次回。