二世が祝福を全うする上で必ず必要になる「信仰」とは何だろうか。

ポイントその2。

 

②原理を実践実感している

 

前回、祝福結婚の意味をしっかり理解する事が第2のポイントと書いたが、それはつまり原理を実践実感しているか。という事に繋がってくる。

 

前回家庭連合サイトから引用した、

お互いが「相手に何をしてあげられるか」、「相手をどれだけ幸せにできるか」を考えて結婚すれば、その2人は永遠に変わらない愛で理想的な家庭を築くことができるでしょう。

 

これは結局第二祝福の話で、具体的には心情文化の話になる。

神様を中心とした男女が愛を授け受けし善の子女を繁殖し家庭に神様をお迎えする。これが第二祝福で、その家庭の文化が心情文化なのだ。

心情とは、「愛を通じて喜ぼうとする衝動心」のこと。ここで間違えてはいけないのが、ここでいう愛を通じてというのは「愛した対象が喜んでいる姿を通じて」ということ。自分が愛されて喜ぶ以上に、相手の為に生き相手を喜ばし相手が喜んでいるその姿を見て自分が喜ぶ。これが心情であり、このように互いに愛し合う文化を心情文化という。これが本来神様が見たかった文化であり、ご父母様が生涯を通して私達に見せて下さった本然の「生き方」なのだ。この、他の為に生きる「生き方」に共感し、私も心情文化を作ります!と参席するのが祝福結婚であり、その家庭を通して心情文化世界が完成されていく。

 

まず、この心情という概念が解っていないと祝福結婚の意義が本当に薄くなり、ただのお見合い結婚とさして変わりないものとなってしまう。

そして、知っているだけではなくいかにこの原理、心情での生活をしているかが問題となってくる。これが前回書いた、「相手に何をしてあげられるか」、「相手をどれだけ幸せにできるか」この理念を生活の中で実践的に理解し共感している子は本当に少ないと感じるという事の意味だ。

 

少し話が逸れるが、二世は過保護の子が多いと感じる。あなたは神様の子供なのよと両親から沢山愛され心配され尽くされた結果なのか、愛されるのが当たり前、やって貰うのが当たり前、聞いてくれて当たり前と、大学生になっても遠慮が無いというか自分勝手な子達が多い。自分を振り返っても確かに相当ふざけたヤツだったと思う。一世の兄姉にキレられた事も一度や二度ではなかった。あるいは逆に愛着障害なのではと思うほど愛を要求してくる子も結構いる。そんな愛される事が当たり前な過保護な子がそのまま祝福を受けた日には...。もう想像しただけでゾッとする。きっと互いに要求するばかりで自分の思った通りにならずケンカが絶えない家庭になるだろう。以前「過保護のカホコ」というドラマをちらっと見ていたが、そのカホコちゃんの言動が二世を見ているようで微笑ましさと共に焦燥感を憶えた。

 

神の血統を持つ二世だからこそ、この心情文化の生活を沢山実践し、為に生きる喜びを自分の「生き方」にして欲しい。その生き様がすなわち「信仰」なのだ。

出来たら祝福受ける前、遅くとも家庭を持つまでにはこの「信仰」を持てたら後々だいぶ違うと思う。勿論夫婦どちらもこの「信仰」を持ってたらベストだが、この際夫と妻どちらか一方だけでも構わない。どちらかさえ「信仰」を持っていればその「信仰(生き方)」に相手は感動自然屈服し変わっていける。その「信仰(生き方)」からくる愛に胡坐をかくような相手なら相当時間は掛かるかもしれないが…。しかし、結局自分は自分の信じた「生き方」をしているだけなので相手がどうであろうが為に生き抜くだけだ。

 

まぁそう淡々と割り切れていたら問題もさして起こらないだろうが、現実問題この生き方を突き通すのは本当に難しい。ではこの生き方を生涯通して突き通すにはどうすれば良いのだろうか。何が必要なのだろうか。

 

必要なもの。それもまた「信仰」なのである。