二世が祝福を全うする上で必ず必要になる「信仰」とは何だろうか。

いくつかポイントに分けて書いていきたい。

 

 

➀【祝福結婚の意味をちゃんと理解している】 

 

家庭連合のサイトから引用すると祝福結婚とは以下の様に説明されている。

―――――――

神様を中心とした家庭を築くために神様を中心とした結婚式を執り行うものです。結婚は「相手にためにする」ものだと考えてます。
家庭連合では、夫と妻はお互いにお互いを作り上げていくのだと考えています。
結婚相手は、「理想の相手となる種」を持った人なのです。
その「種」を育てあげ花を咲かせるのは、その人の夫または妻です。

お互いが「相手に何をしてあげられるか」、「相手をどれだけ幸せにできるか」を考えて結婚すれば、その2人は永遠に変わらない愛で理想的な家庭を築くことができるでしょう。

家庭連合の祝福結婚は、まさにこのような結婚観にもとづいて行われるものなのです。
――――――

引用終わり

 


祝福結婚とは、one family under GOD の理念の下、互いに為に生き合う夫婦が、死んで霊界に行ったのちも永遠に一緒に愛し合う結婚で、この理念を共有し生活ている夫婦、家庭という実体こそが祝福結婚の最大の魅力、ブランドなのだ。しかしこの崇高な理念をちゃんと理解していないと後々何でこうなるのという事が起こってくる。

 

一世はその理念ありきで教会に来て自分の人生を180度変えて祝福を受ける訳だからこの理念を持った人同士がもちろん結ばれる。

しかし二世の祝福に対する動機というのは必ずしもこの崇高な理念と一致するとは限らない。二世が祝福を受ける動機は大半が、受けるのが当たり前だから。適齢期になったから。親を喜ばせる為。などだろう。

しっかりと教育を受けてきた一世と違い、二世は本当にピンキリだ。この理念をちゃんと理解して共感して祝福を受ける二世がどれほどいるだろうか。自分自身二世として二世教育に長く携わっているが、上記の「相手に何をしてあげられるか」、「相手をどれだけ幸せにできるか」。この理念を生活の中で実践的に理解し共感している子は本当に少ないと感じる。それは勿論その子達の精神年齢にもよるのかもしれないが、結局その事を十分に理解しないまま、当たり前の様に流れで祝福を受けてしまうと、祝福を受けさえずれば(私が)幸せになれるという間違った考えが固まって、祝福式前に、高まったテンションで祝福の講義を聞いた所で右から左に流れるのがオチという話になってしまう。

 

結局教会の理念をちゃんと理解していないというのは、そもそも家庭連合の信仰を持っていないという事になるので、その人がいくら祝福結婚をしたとしても中々上手くいかなくなるもの当然だと思う。

一世間でも勿論こういう事はあるかもしれないが、そもそも理念に相対しない人、理解してない人は祝福なんて受けないしあまり受けさせて貰えないのではないだろうか。二世はその基準が非常に曖昧だ。以前は17歳でも祝福の場に立つことが出来たし、今は祝福準備修練会まで出てさえすれば相手は探せるとなっている。霊の子もいらない。成約断食は7日から3日になった。

はっきり言えば、信仰がなくても祝福を受けようと思い、実際受けれてしまうのが二世祝福なのだ。

 

なんで教団の理念が解っていないなんて事になるのかと言えば、二世とはそもそも神様や教会や礼拝、祝福などが至極当たり前な事で、改めて自分の信仰としてインプットしようという思いにならない。なったとしても、礼拝出なくちゃ。訓読しなくちゃ。くらいの浅い信仰生活を外的に見直すくらいで祝福が上手くいくと思ってしまう事が原因としてあるのではと思う。

 

二世の祝福を受ける為のハードルが下がったこと自体はご父母様の愛以外の何物でもない。喜ばしい事だと思う。それ故に二世達には教会の理念を改めてちゃんと理解して参加して欲しいと切に願う。