イロトリドリノセカイ。 -6ページ目

イロトリドリノセカイ。

ありふれた日常は小さな奇跡で溢れている―。

私には月に一度、『原稿を書く』という作業があります。


今月もそろそろ書きはじめなければなりません。



が、・・・


でてこない・・・


言葉が・・続かない・・・


調子がいいときはあっという間に書けるのに。。

パソコンを前に打ち込んでは消して、また打ち込んでは消しての繰り返し。

はぁぁ~

のってこないよぉーー


不思議なもので、何気なく見たTVとか雑誌とか、聴いた音楽とかでいきなりスイッチが入って、ぶぅあぁぁって書けちゃうことがあるんですよ。


今回もそれに期待しつつ。。



あぁ、言葉の神さま!!

降りてきてくださいませ!!!

憎むこと

比べること







それをやめたら

人は少し楽に生きれるのかな

9月に入って、今日はもう20日。

今月は特に時がたつのが早い。

夏から秋への季節の移ろいをほんとはゆっくり楽しみたいのに、なかなかそうはさせてくれない。


残暑が続いているとは言っても

季節はちゃんと前に進んでる。


空のいろ、雲のかたち

肌に触れる風、吸い込んだ空気のにおい

虫たちの大演奏会


どんなときも、こうして時は進む。



毎月11日。

いろんなことを考える。

6回目の今月、自分の中で半年という一つの節目を

蔑ろにはしたくなかった。

ちゃんと向き合わなきゃいけないと思った。

本当は当日に書きたかったけど、

考えが溢れるばかりでまとまらなかった。

今でもまとまったとは言えないけれど、

取り合えず書き始めてみようと思う。

おそらく長文になるだろう。



今回の震災で日本中、世界中の人が様々なことを感じたと思う。

どれが正しいとか間違っているとかはない。

誰も正解はわからない。

色んな角度から見てみるとほんとにわからなくなる。

何を信じていいのかわからない。



1マイクロシーベルトが危険だという学者もいれば

それくらいは問題ないという学者もいる。


それを受けて避難する人がいる。

それを受けて避難しない人、できない人がいる。

じゃあ、20年、30年経って

避難した人は病気にならなくて、しなかった人が病気になるのかと言われればそれは誰にもわからない。




家族を失った人は、なんで自分も連れて行ってくれなかったんだと言う。

いっそ自分も一緒に逝けたほうがどんなに楽だったか、と。

残された家族の心の傷ははかり知れない。




TVでもラジオでも「がんばろう、がんばろう」って

何度も何度も繰り返し言っていた時期があった。

それは今でも続いている。

気持ちはわかる。

でも被災者にとっては、その「がんばろう」って言葉がいちばん辛いってこともある。

どうかそれをわかってほしい。

体一つ残っただけで後は何もないっていう人は、いったい何を目指せばいいんだろう。

人はほんの小さなことでも何か目標がないとなかなか前には進めない。

気持ちはすごくありがたい。



今回の震災で人の温かさに触れたという人がいる。

一方で、人間の本性を見たという人がいる。


“偶然”に味方された人と

“偶然”に見放された人。

その違いってなんなんだろう。




住むところがあって

水道をひねれば水が出て

ごはんを食べれて

温かい布団で眠れて

仕事があって

家族、友人がそばにいる


自然の恩恵を受けながら

私たちは生を受けてる


今まで当たり前に思っていたことが

どれだけありがたくて、贅沢なことだったか

気付かされる。


でも、ヒトという生き物は忘れていく。

あのときどんな大変な思いをしても、

感覚が徐々に薄れていく。

なんて傲慢な生き物なんだろうと思う。


震災直後、しばらくは24時間ニュースだった。

それがCMをやるようになり、

深夜にはバラエティ番組が始まった。

何がおかしくてそんなに笑っているのか私には理解できなかった。

怒りを通り越して、悲しみに打ちひしがれた。


被災した側 と そうじゃない側。

どうしたって

温度差がでてくる。

それは仕方のないことだと思う。




私は余震や台風などの天災があるたびに

神さまに怒られているような気分になる。


「油断するなよ」

「また以前の生活に戻っているぞ」
「まだわからないのか」


そんな風に言われている気がするんだ。





やっぱり、うまくまとまらなかった。

私がこんなことを書いて何になるわけでもない。

でも、半年たって思うことをちゃんと言葉にしておきたかった。


3月10日、まさか次の日に

あんなことが起こるとは思ってもみなかった。


3月11日の朝も、まさかその日の午後に

あんなことが起こると誰が思っただろう。


必ずしも平穏な日々が続くとはかぎらない。

でも、だからこそ明日という日に希望をのせる。


“またね”


このたった一言が今の私にはとても重く感じる。

「また」がある幸せ。


“またね”(お互いが笑顔で会えますように)


そんな思いを添えてみる。


来年の3月11日、私は何を思うだろう。




昨日、どこからともなく太鼓や笛の音色とともに

威勢のいい声が聞こえてきた。

秋祭りだ。


大人も子どもも秋の陽射しの中できらきらしていた。

子どもたちの元気な笑い声が澄み切った空にどこまでも響いていた。


この声がいつまでも続いていきますように。


そう祈りながら、私は空を見上げた。