結局のところ






明らかな真相に着くとき

いつも

「これ公にしたらヤバイ」

「得体まで晒すとヤバイ」

という付録がついてくる。

 






たとえば

ほんまもんの占術師さん達は

ホームページもSNSもないし


ほんまもんの権力者や黒幕は

その身を表に出してない。


あれもこれも

肝心な水面下は

ニュースで放送されない。







真相には

そうやすやすとは語れない


神秘的すぎるオーラ

もしくは

無法なベールがあって



リアルな内容は

歌曲や絵画や映画などに

暗号化ごとく織り込まれて

脈々とアートに継がれてる。





たとえば

童謡も神話もアニメも、

その食器、この掛軸、あの建物も。







道に熟達した人のことを

「玄人」という。


奥深くまで優れることを

「玄妙」という。





「玄」とは黒色の意。

照明が及ばないくらいに

奥が深いところの色。







老子では

「微妙玄通」という言葉があり

これは緻密ですべてに通ずる領域。


素人には見えない真理までを

見通す力を体得した者を指す。



みずがめ座





つまり

奥深い領域は

一般公開的ではないのが

自然の摂理。



ゆえに


明らかな真相に着くとき

いつも

「これ公にしたらヤバイ」

「得体まで晒すとヤバイ」

という付録がついてくるのかと。


そしてきっと知らずして皆その中にいる。








算命学にしても

ある極点を超えた先のことは

誰にも言えない。

身内にも全部は話せない。


どうにも人智を超えてて

説明のしようがないから。




説明可能な域を超えるから

ヤッヴァイわけですし、

いつの時代も、どこの業界も、

オフレコ話ほど真実味。










算命学の故郷である

“タオ” の前置き


タオは学ぶことは出来ても

教えることは出来ない


その意味がつくづく。








そんなこんなで結局、

算命学のほんとの凄さも

ブログではほとんど書けないし

そろそろ一旦終わります。


いやほんとは

やっぱり算命学の凄さを

静かに丁重に守っていきたい。



とはいえ

算命学マジックの所感を

記録として綴ってきたので

のこしておきます。




おとめ座







山に籠りたいけど…


たぶんどこかの

煙たい雀荘の奥のほうで

カップ酒かタバコを片手に


陰陽五行を語りだす

あやしい女がいたら

たぶんそれはわたし。


本気の鑑定をするために

元のわたしに還る。



𝑺𝒆𝒆 𝒚𝒂















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