算命学の教え
特殊な才能を抑えるということは
自分を殺して生きるようなものであり
自分を殺すが他人を生かす形となる。
はたまた
特殊な才能を世で発揮すれば
自分を生かすと同時に
他人を生かすも殺すも両方できる。
つまり
自分が特殊才能を発揮して生きるのは
周りに何かしら犠牲も伴うものなので
「おかげ様」を忘れてはならない。
自分が世の中で跳ね上がって
「わたしは誰の世話にもなっていない」
などとは言えないものです。
みな、誰かの世話になっているから
運勢を伸ばせるのであり、
それを踏まえていれば
自然と改良方法が分かるのです。
朱音語訳
▼
たとえば、
チームにぶっちぎりの天才が1人いると
その活躍によってチームは盛り上がる。
( →他人を生かすの部分 )
反面、
他のメンバーもある程度に優秀であっても
ぶっちぎりな天才1人の存在によって
周りはあまり脚光を浴びないことになる。
( →他人を殺すの部分 )
もしきょうだいの中で
スポーツ万能、成績優秀、容姿端麗といった
ぶっちぎりの1人がいたとしたら
他のきょうだいはどことなく
劣等感を抱かざるをえない可能性が
生じたりするものである。
とはいえそれが
他のメンバーにとっては
心のたくましさが培われたりして、
壁にぶち当たる場面では
天才よりも凡人の方が強かったりもする。
▼
つまりは、
日向で跳ね上がって生きれば
目立ってこその
脚光的メリットを受けられるので、
日陰にまわってくれている存在へ
「ありがとう」の精神が生じて然り。
また、
日陰で落ち着いて生きれば
目立たずしての
平穏的メリットを受けられるので
日向にまわってくれている存在へ
「ありがとう」の精神が生じて然り。
持ちつ持たれつというか。
勝手に妬まれて恨まれて
足元をすくい合ったとしたら
チーム自体が、きょうだい自体が
その業界の評判自体が
壊れてしまう場合だってあるので、
本物の天才は、おかげ様を忘れない。
本物の天才は、自然と謙虚な姿勢になる。
天才とは、
平均と異なる一部を持つ者。
先天的か一時的か状況的か総合すれば
大体みな何かしらの天才であるし、
みな同じ空のしたで暮らす凡人でもある。
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