算命学の教え


特殊な才能を抑えるということは
自分を殺して生きるようなものであり
自分を殺すが他人を生かす形となる。


はたまた
特殊な才能を世で発揮すれば
自分を生かすと同時に
他人を生かすも殺すも両方できる。


つまり
自分が特殊才能を発揮して生きるのは
周りに何かしら犠牲も伴うものなので
「おかげ様」を忘れてはならない。

自分が世の中で跳ね上がって
「わたしは誰の世話にもなっていない」
などとは言えないものです。


みな、誰かの世話になっているから
運勢を伸ばせるのであり、
それを踏まえていれば
自然と改良方法が分かるのです。



朱音語訳





たとえば、
チームにぶっちぎりの天才が1人いると
その活躍によってチームは盛り上がる。
( →他人を生かすの部分 )
 

反面、
他のメンバーもある程度に優秀であっても
ぶっちぎりな天才1人の存在によって
周りはあまり脚光を浴びないことになる。
( →他人を殺すの部分 )





もしきょうだいの中で
スポーツ万能、成績優秀、容姿端麗といった
ぶっちぎりの1人がいたとしたら

他のきょうだいはどことなく
劣等感を抱かざるをえない可能性が
生じたりするものである。



とはいえそれが
他のメンバーにとっては
心のたくましさが培われたりして、

壁にぶち当たる場面では
天才よりも凡人の方が強かったりもする。







つまりは、
日向で跳ね上がって生きれば
目立ってこその
脚光的メリットを受けられるので、
日陰にまわってくれている存在へ
「ありがとう」の精神が生じて然り。



また、
日陰で落ち着いて生きれば
目立たずしての
平穏的メリットを受けられるので
日向にまわってくれている存在へ
「ありがとう」の精神が生じて然り。

持ちつ持たれつというか。





勝手に妬まれて恨まれて
足元をすくい合ったとしたら
チーム自体が、きょうだい自体が
その業界の評判自体が
壊れてしまう場合だってあるので、

本物の天才は、おかげ様を忘れない。
本物の天才は、自然と謙虚な姿勢になる。






  


天才とは、
平均と異なる一部を持つ者。

先天的か一時的か状況的か総合すれば
大体みな何かしらの天才であるし、
みな同じ空のしたで暮らす凡人でもある。