急な空き時間ができて
はじめての知らない町を
ひとりで散歩する日がある。
その時ゆいいつ
「生きてる」のを確かめられる気がする。
急きょ始まる探検だから、
今この瞬間まったく誰も
わたしの現在地を知らないのかと思うと
めちゃくちゃ「生きてる」心地がして
幸福感で満ちたりる。
わたしなりの愛情で
子どもといたら
自動的に親っぽいマスクの自分になるし
わたしなりの恩情で
親といたら
自動的に娘っぽいマスクの自分になるし
わたしなりの懇情で
仕事をしてたら
自動的に仕事してるっぽいマスクになるし
わたしなりの純情で
デートをしてたら
自動的にデートしてるっぽいマスクになるし
それが幸福でないということではないけど、
“ 何者でもないただの自分 ” でいる
無の幸福には、かなわない。
のどが乾いたらお茶して
気になるお店があれば寄って
歌いたくなったら歌って
右に曲がりたくなったら曲がって
昨日も明日も忘れてて
瞬間瞬間の直感だけで歩く。
悲しいのに悲しくないフリ、もないし
嬉しいのに嬉しくないフリ、もなくて
おりこうさんのフリをしようがないの最高。
陰転と陽転の決定的なちがい
凶悪事件の犯人には
人知れぬ異色な『孤独』がある。
世を沸かすヒーローにも
人知れぬ異色な『孤独』がある。
死にたいくらいの『孤独』を憂いて
闇のジャンキーになるか
それでも生きてる『孤独』を楽しみ
光のトラベラーになるか
運命において
陰転と陽転の決定的なちがいは
『孤独』の制し方にある。
陰陽論的にいうと
火 生 土 かしょうど
たとえばわたしが
算命学のことを話すときは
「それでも生きてる楽しさ」の
明暖な精神があるから
アウトプットが適う。
土 剋 水 どこくすい
人知れずにして
算命学のことを学ぶときは
「死にたいくらいの憂い」の
暗流な精神があるから
インプットが適う。
どっちも要る!!
どっちもあっての縦線バランス。
陽気で楽しいだけの奴に
とやかく説かれたくないし、
陰気で憂いてるだけの奴に
とやかく教えられたくないと感じるのは
わたし独りだけではないはずだ。
読者様 いつもありがとう♬