大運 という技法は
10年毎の人生テーマ→ 環境のあり方
→ おかれた期間での適所がわかります。
不思議となのか、本能的に必然なのか
大運 (環境) が切り替わる前は
本人の中での方向性が変わります。
運命とは、宿命と環境の接点にあり、
環境の変わり時は、運命の変わり目。
だから、
ちょうど切り替わり段階にいる方からの
ご相談は多いです。
何かが変わる、
予知的感覚が働くのでしょうね。
車両を乗り換えてもいいのか、
どの車両に乗ると安全に到着するのか。
環境 が切り替わるとき、
手に入れたレアな思い出だけでなく
捨てた想いの数々までもが
車窓の景色みたいに流れてくるもので、
一定一住しないこの世の無常が
景色の中の空に広がる気がします。
( 役目に徹する10年間のあいだは
感情を捨てたリズムもあるだろうし、
感情を表立たせる10年間のあいだは
責任を担いきれないリズムもある。)
無常の中を生かされているのだから
人生テーマが切り替わるあいまで
満たされた想念とやるせない想念が
混じり絡まるのは、相応だと思う。
時間と共にそれはほどかれて、
また次の駅に出発してゆく。
まだここに居たくても
次へと進まされてゆくもの。
生きているようで、生かされている。
運命が切り替わるときに
この世の無常を味わえているのなら
ちゃんと学ぶべきことを学べているしるし。
そんな揺れ動くあいまにも
思わず「幸せだなぁ」って
つぶやけるような日があったら、
それはもう成功。
たくましく成長して生きている成果です。
読者様 いつもありがとう♬