愚図みたいなミス、
うっかりした失敗、
無理なあやまち、、

ひとがしても許せるのに
自分がおかすと急に厳しくなって
自分を裁きだそうとする。




同等のあやまちを
もし子どもが見せても
同僚が見せても上司が見せても

「全然いいよ!大丈夫だよ!」
って応えられるのに
なぜ自分自身にはムチ打つのか。






なぜ何より大事な自分をそんなに
死に追いやるような観念で縛るのか?
を考えたとき、


おのれに甘くて勝手な親に傷ついたり
おのれに甘くて気まぐれな恋人に傷ついたり
おのれに甘くて迷惑な誰かに傷ついたような
そんな経験が過去にあって
よじれてインプットされているように思う。




いずれもその対策や解決と
「自分を必要以上にどうにかする」は
別のリング上なのに、

関連付けようと選んでいるのは
紛れもなく
相手でも、環境でもなく、

傷つかないように甘えている自分自身
勝手に関連付けて厳しくする自分自身
選択しているだけなのである。





自分に厳しくムチを打つというのは
実は、自分を甘やかしているアメ。

自分に厳しくするという甘蜜。
自分に甘しくするという厳格。

作為的なムチもアメも本来は要らない。





・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

自分に優しくしようと
心がけているつもりが、

天中殺の日に
失敗したり失念して

「ほれ、無条件に自分を愛してるか?」
と問われて

まだまだ自分を
必要以上に縄で縛ろうとする
大人ぶる裏にある幼稚性に気づく。

行雲流水。心がけすらしなくてもいいのに。