物事も、季節も、天気も変わっていくように

ひとも、運勢も変わっていきます。



運勢が乱れるタイミングで

気力と体力が満ちている頃は

多少の困難があっても

自分の勢いのよさで乗り切れたりする。


けれど、

気力もしくは体力が衰えている頃に

運勢の波が揺れると

飲み込まれるか、何もないか、

極端な差が出てきます。



波が揺れるとき、

無難に乗り切れるひとは

「心の教養」が身についている

と、算命学宗家の講義の中にあります。



「心の教養」とは

知識やテクニックの豊富さではなく、

「見えないものを察する力」

と、説かれます。



ひとがひとを思う気持ち、

家族や仲間への愛情、平和の願いなど

目では見えませんよね。

でも確かに在る。



何かプレゼントを頂いたとして、

プレゼントの形は目で見える。

でもそのプレゼントを選んだひとが

「喜んでくれるといいなぁ」と

思ってくれた気持ちは、目では見えない。

でも、察することは出来る。



「察する」「感じる」

教養の目があると

運勢が乱れたからといって

取り立てて、騒ぐことがなくなります。


運勢の裏側の見えないところに

ちゃんと必要な学びがあることを

察せるからです。




もう地位も経済も確立しているひとでも

有効的な情報を発信したり

パフォーマンスをみせたりするのは、

ただ、そうしているだけなのではなくて

その内側には

「世の中がもっと良くなってほしい」

「世の人々に活気づいてもらいたい」

という思いが込められていたりする。

( つまり、彼らは、世の中の人々の

気持ちを察しているということ )



目で見えないものをみる力は、

何も特殊な能力のことではなくて

丁寧にひとの気持ちを想像すれば

誰でも、養えます。



ひとは、ちょっとつまづいた時にこそ

荒っぽさが削られ

落ち着いて見えない世界を想像するもので、


つまづくってことは

まだ心の教養を養う伸び代がある

ってことなのかと思います。




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💌今月のレインレター