王家と庶民のちがい
一言でいうなら
「王家の占い」はあきらめません。
吉凶うんぬんで放棄していては
国が滅びます。
国が滅びるということは
大勢の人間が路頭に迷うので
簡単に投げ出すわけにはいきません。
だから王家の占いであった
算命学は
技法が1番多いです。
つまり1番
お金も時間も使えるね
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一方、
庶民の占いは
表現や名前が怖いです。
なぜなら
あきらめさせないと
庶民が反乱を起こして
国がまとまらないからです。
庶民は個人的な生活感情で
物事の吉凶をいうから。
だから帝王学が
一子相伝の秘術にされてきたのは
最もだと思います。
算命学の基本は
“宇宙の物差し”で
物事をはかります。
宇宙から地球自転を眺める感覚。
ゆえに算命学では
時柱は基本使いません。
北極点一周で1日、
日柱に24時間(時単位)を含むとする。
人それぞれになる
個人の物差しで
はかっていては
曖昧にしか解けないし
個人の機嫌の良し悪しで
他人の運命を動かすのは
危険でしょ。
「諦め」とは
ごんべんに帝と書くように
帝王学を知るということは
「諦め」→「明らかに認める」
悟りを覚悟した上での
物の見方が伴ってきます。
なんていうのかな、
庶民的な占いは
当たる当たらないで
楽しめる。
王様の占いは
当たる先にどうするか
案件を抱える感じ。
楽しいだけでは出来ない。
それを楽しめる境地かどうか。
( ´•౪•`)