目の前に
胸が高鳴る、初めてのドアがある。
開くか、開かないかは
どちらでもいいのに、
今いる部屋に飽きていたのか
無性にそのドアを開けて
新しい場所へ踏み出したくなった時、
開けてみたい好奇心のワクワクと
開けるのを怖れる心のヒヤヒヤとで
ドアの向こうへ進むか否か
選択にまようことが、人生にはあると思う。
開けようが、開けまいが
どっちでもいいっちゃいいにしても
恐怖心が芽生えてる時点で
好奇心が勝る暗示だったりする。
“怖れ” が
あなたをやけに怖れさせるのは
その“怖れ” との別れが近い証。
別れが近そうだと察して
“怖れ” が
あなたをうんと怖れさせる。
本当に知らない場所へ行っても大丈夫なの?
慣れた場所にいた方が安心じゃないの?
とか
脳が心配性になってくれるわけで
恐怖心 と呼ばれがちな生命維持機能。
ともなって
もっと素敵な場所へ行った方が楽しいよね?
向こう側へ移った方がより快適だよね?
とか
脳が冒険的にもなってくれるわけで
好奇心 と呼ばれやすい生命活性機能。
どちらも親心みたいなもので。
どちらにしても
ひとは
未だ知らない “未知” に対して
生きぬく機能として
陰にも揺らめき、陽にも揺らめく。
ただのドア1枚に
あーでもない、こーでもないと
確かめたり、論じたり、仰いだり。
一 はたまた
開くべき運命的なドアなら
どれだけ怖くても順々と開けるよう
導きにうながされるのだけども! 一
「 闇の “恐怖心” さん、
心配してくれてありがとう。
もうそれは維持しなくても大丈夫。」
と、正体を見破った瞬間に
恐怖心は
もとの単なる生命維持機能に納まる。
光の “好奇心” さんと一体になって
胸が高鳴るドアを開いたなら
その先でまた何かを創造するでしょう。
好奇心は、生命活性機能ゆえ
自己発揮の合図みたいなものだから。
恐怖心との別れは
ひとつの親ばなれとも似ている。
本日、癸亥の日、
60干支いちばん最後の干支。
明日、甲子の日、
60干支いちばん最初の干支。
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『 水のように生きる 』
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