責任を持つということ、
それはその責任が大きい程に
「 危機 」を負う可能性も比例します。

責任を持ちたくないと言う人がいたら
「ピンチを抱えたくない」
という意があっての表現でもあるでしょう。


危機
・危 →傾いて倒れかかる・不安定・危険
・機 →物事が起こるきっかけ・兆し・機会
との意味があります。 

危機とは、ピンチ(危)でもあり、
はたまたチャンス(機)でもあります。



混乱の状況下においては
どうしてもピンチとしか思えないような中で
いかにチャンス思考に切り替えられるかを
とことん試されたり
向き合わされたりしませんでしょうか。



長として、役として、プレイヤーとして…

生きていく上で社会に携わると、
何かしら責任を持つ仕組みになっています。
それによって自分の存在意義が
より磨かれていくようにも思います。
(もしも、責任をまったく持たないとなると
自分の存在意義にさ迷うかも知れません。)


苦境をただ憂うのではなく
いかに好機へと転じさせていくのか。
責任と同時に抱える危機の場面において
「ピンチはチャンスだありがとう」
の心持ちがわき上がる。



例えば、天剋地沖が回ってきた時には
動揺するような出来事や状況があります。
でもその時、現実を冷静にみてみると
「危」でもありながら「機」でもあるのです。

すべての物事は陰陽どちらもあるので
陰の反対側にある陽も必ず見つけられます。