水のように生きる


老子が理想とする
素朴ナチュラルで
桃源郷のような世界
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老子を順にたどり始めたのと同時期に
わたしは
長野県通いの日々が始まりました。
それまで自分とは
縁もゆかりもない地だと思っており
自分でも通う理由が分からず、
人から問われても
「空気が好き、連峰が良い」
としか答えようがないまま。
長野県と新潟県の境に
秋山郷という地があります。
一昔前ここでの人々の暮らしが
記された書物「秋山記行」
著者の鈴木牧之氏は
この地を「桃源郷」と呼びました。
老子が云う桃源郷そのもののような
人々の暮らしが
かつてここにあったそう。
中国大陸にではなく、日本島国に。
そして、わたし自身は
秋山郷の子孫だったと判明し
ご先祖様のルーツという
ひとつ自分の根源を知った、
そんな出来事がありました。
秋山郷にて
長野県めぐりにおいては
様々なヤタガラスなる人々に
導きをご手配いただき
大変お世話になりました。
手配が完璧な信州旅の一連は
けがれを水に流して
もとの自分に還るための
みそぎの様でした。
確信的、核心的、革新的な
タオの効力。
目で「見えない」けど「確かにある」
「確かにある」ものは目で「見えない」
老子道徳経の手始めでは
そんな前置きを学びます。
2024.8
追記
秋山郷では縄文時代の学びもさせて頂けました。
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ここまでに至るのも
怒涛の日々だったので、
前置きは終局かと思いきや、
みそぎ旅がひと段落したのち
本格的な人生洗礼に入っていきます。
みそぎ旅の期間は
前置きの前置きでしかなかった。
次の段階もまた
激しくて穏やか、穏やかで激しく、
そしてどこか懐かしく…。
2025.5
故以智治国 国之賊。
不以智治国 国之福。
知此両者 亦稽式。
出会って1年目 一
「愛してる」
それだけの素朴な反応に対して、
交際?結婚?関係性は何?など
人間社会の制度で刷り込まれてきた
一般的と呼ばれる概念がまとってきて、
認識の仕方が分からなくなる。
素朴な「愛」そのものに
気づいて、
ゆえにとまどって怖くなったりもする。
2年目 一
「愛してる」
何周まわっても結局それしかなくて
交際やら結婚やら
どの関係枠にも当てはまらない気がして
一旦、刷り込まれてた既存情報を取り払う。
( 取り払うというか、降参させられるというか… )
正解に当てはめようとするのを
辞めるしかなくなる。
「ただのそれ」に
正解も不正解も付けようがないから。
3年目 一
「愛してる」
今日からの交際が自然なら交際するし、
もし明日の結婚が自然なら結婚するし、
来年までの離別が自然なら離別するし、
時に友人で、時に恋人で、
時に家族で、時に先生で…
名称がある関係性であろうが
名前のつかない距離感であろうが
いずれにしても「愛してる」は
「愛してる」の認識に変わりはなく