作家・シナリオライター西村悠のブログ

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ラノベ作家・シナリオライター西村悠の近況報告とかです。

7月29日ですね。本日は『夏空のモノローグ』が初めて発売された日で、僕はこの日を毎年、自分を振り返る日と決めています。

夏空のモノローグというのは、15年前に発売された女性向けの恋愛ADVゲームで、僕はその企画とシナリオを担当していました。

去年は移植版の発売と舞台化があったり、今年は中国版の販売が予定されていたりと、今でも色々な展開があるのは、ファンの皆様の温かい応援あってこそだと思います。作品に関わったスタッフのひとりとして、それをとても嬉しく思います。

夏空のモノローグには、夏の風景がたくさん出てきます。それにちなんで、というわけではありませんが、自分の夏の風景の思い出について、少し書き残そうと思います。

まだ高校生の頃、夏にひとりで自転車旅行をしたことがありました。4泊か5泊、あるいはもっとだったでしょうか。もう覚えていません。本当はもっと長い距離を走るつもりだったのですが、特に計画らしきものもなく、なにも知らないまま、この程度あれば大丈夫だろう的なお金を握りしめて出発。けれど高校生の想像よりはるかに早くお金が尽きそうになって、慌てて帰途についたことを覚えています。このへんの中途半端な感じは今の自分に通じるところがありますね。

あの頃の自分は、何か特別なことをしたかったんでしょうね。自分はこれをやった、と誇れるものがほしかった。ウォークマンでビートルズを聴きながら海沿いの道路を走っていったんです。山、山の向こうに町が見えてきて、町に入り、また山、それの繰り返しみたいな行程でした。
切り立った崖が左に、山が右に、その間をろくに整備されていないような道路が通っていました。見渡す限りは人の気配はなく、空は青く、遠くまで続く道路は日を照り返して白く輝き、向こうで陽炎が揺れていました。ビートルズを聴きながら、ギコギコとママチャリを走らせていると、自分の存在感が薄くなっていって、その風景の中に、自分が溶けてしまったように思えました。自分は自分が思っていたよりずっと頼りなくて、子供なんだなと、旅行中、そんな気持ちが強くなっていったような気がします。一人旅などしたことがなかったので、楽しさより不安のほうがずっと大きかった。けれどその分、なんだかすごいことをしているような気になったものでした。

それで何が変わったかと言えば、特に何も変わらなかったのですが――野宿したときの、意外なまでの、夏の夜の寒さや寄る辺なさ、朝が来たときの心底ほっとする感じ、夕方の寂しさも全部含めて、それらは僕の夏の風景として心に残っています。

そうやって見たもの経験したものは、作品開発当時、あの物語を書いているときにもたびたび顔を出していたような気がします。夏の空はあんな感じだった、日がじりじり肌を焼いてるのがわかる感じ、緑の様子はあんな感じだった、入道雲はこんな感じ、セミがうるさかったなあ、海はこんなで潮風が気持ちよくて、自分に関係のない家から漏れてくる明かりに寂しくなったり――そんな感覚が、あの物語の『夏』を形成していたように思います。

夏空のモノローグが発売されてから15年が経って、毎年のように7月29日に触れるたびに、あの自転車旅行も遠くなっていくように思います。その分、毎年ひとつずつ何かを積み上げていって、それを振り返って。なんだかこの作品と自分のこれまでが不可分になりつつあるように思います。

ここまでの話は、開発に関わった、ごく個人的な一スタッフの心中のようなものなので、作品に直接関わることではないことをお断りしたうえで、やっぱり大切な作品だなと、改めて思います。

毎年の7月29日に触れてきたように、物語創作のプロとしての僕は、夏空のモノローグに生かされたようなものなので、実際、プロとしての自分とこの作品は不可分だと思います。願わくばもう一度、この作品と同じくらい、いえ、それ以上に、自分と繋がった物語を書きたいと思い、今も書き続けています。本当にがんばっていきたいと思います。

また来年も同じように7月29日を振り返ることができたらいいなと思っています。皆様の明日がいい日であることを祈りつつ、失礼いたします。
 

今年も7月29日がやってきました。夏空のモノローグ発売からちょうど14年。今年はSwitch版の発売や、舞台化と色々なことがありましたね。

14年という月日を経てなお、これほど愛していただける作品に関われたことは、本当に名誉なことです。

舞台、こっそり見に行ってきました。役者さんの素晴らしい演技に引き込まれ、アドリブシーンに笑い、構成の見事さに息をのみました。本当に素敵な舞台でしたね! 自分が書いた物語と同じ魅力があり、同時に違う魅力を合わせ持つ、幸せな舞台化作品でした。

不思議な話ですが、あの作品を開発していた頃にタイムスリップしたような気持ちになりました。このシーンにはこんな気持ちを込めて書いたな。あのシーン、今の僕にはこんな風に見えるのか。作品を通して、昔の自分と対話しているような、そんな気持ちになり、なんだかとても感慨深かったです。

物語最後のシーンが暗転した瞬間、暗闇の向こうに必死で物語を書いている14年前の自分の背中が見えた気がしました。この作品がたくさんの温かい気持ちによって守られ、今日ここで舞台となっている。その事実を想うと同時に、これまでの創作の悲喜こもごもが心に浮かんで止まらなくなり、込み上げてくるものを飲み込むのに苦労しました。

3時間あっという間。本当に幸せな時間でした。

帰り道。14年前の、ライターとしての自分に自信がなく、常に追い詰められていた若い僕に、この夏の舞台のことを教えてあげられたらな、と考えていました。あの頃の自分に優しい言葉をかけて感謝したくなるような。僕にとっては、そんな作品でした。

もうすぐ7月29日が終わり、明日がやってきますね。14年前の僕からしたら、この作品がこれほど素敵な舞台になり、多くの人に楽しんでいただけるなんて、それは本当に奇跡のようなもので――『明日はきっといい日』という言葉が14年越しに胸に響いたのでした。

舞台に関わった全ての方、見てくださった全ての方への、感謝の気持ちでいっぱいです。

特別な7月29日をありがとうございました。今日を胸に、また明日へと歩みを進めたいと思います。

それでは、みなさまの明日がいい日であることを心から祈りつつ、失礼いたします。
 

お世話になっております。西村です。ブログの更新は久しぶりですね。年末となりました。一応僕も仕事納めをして、一息ついているところです。(来年のスケジュールを考えて、お正月の間も少しずつ仕事は進めていくつもりです)

プライベートでも仕事でも、色々なことがあった年でした。

プライベートについては、子供がいますから、おのずとたくさんのイベントに触れることになります。色んな場所に出向くことにもなるので、買い物と散歩くらいで十分外出したい欲求を満たせてしまう、極端に出不精な僕にとっては、季節や外の世界を感じるいい機会になっているかもしれません。もちろん、家事育児はとても大変ではあるのですが、その分だけ家族の信頼関係みたいなものは深まっているような気がします。

仕事では、色々なことに挑戦し続けた一年だったような気がします。前半はかなり苦しかったのですが、後半にいくに連れて楽になっていったというか。昨年、今年とかなり力を入れて、色々な準備もさせていただいておりました。来年は色々とお知らせできることも増えてくると思います。これまでの準備がどのような結果を見せてくれるのか、今は楽しみと不安がないまぜの状態です。うまくいってくれ! と心から思っております。ぜひ、見守っていただければ幸いです。

また、仕事とプライベートの両面において、やはり個人的に大きな出来事だったのが、twitter(現x)を始めたこと。色々と気にする性格ですし、あまりに簡単に、全世界に発信できてしまうSNSには、かなり慎重だったのですが、始めることにしました。

 

もっと自分の作品に対して責任を持ちたいと思ったのがきっかけです。作って、世に出して終わりではなく、より多くの人に届ける努力をするべきだと考えました(今更ではありますが)。あとは創作について、色々な人との交流の中で勉強できたら、という気持ちでしょうか。創作論とお仕事関連の内容に絞って投稿しているのですが、案外ネタが尽きないことに驚いております。また自分の考えが整理されたり、他の方の考えに触れたりして、自分の場合はどうか……と考えるきっかけになって面白いなと思っております。

やってみた感想としては……140文字は、短いですね! 本当に短い! 伝えたいことがまったく伝わらない。あちこち削ってもまだ上限をオーバーしてしまう……。どちらかいうと、言葉というものの、伝わらなさに恐怖を覚えているタイプなので、かなり綱渡りな気分です。

あとは、文字媒体の注目を集める力の弱さ、というものも改めて実感しております。関連して文字主体の作品を宣伝する難しさにも考えは繋がり、であれば、例えばSNSで作品を宣伝するにはどうしたらいいのか……などと日々悩んでいたりします。

皆様はどのような一年だったでしょうか。
僕の今年の総括としましては――準備の年というイメージでした。

来年も、よろしくお願いいたします。
では、よいお年を。