小学校4年生の時、母が失踪した。
あの頃の記憶は今でも鮮明だ。
夏休みには、隣の県に住む親戚の家に、兄と2人だけで一週間程度泊まるのが恒例だった。
そこには2つ年上のお兄ちゃんと、
1つ年下の弟がいて、4人で仲良しだった。
親戚の人たちは宿題が終わると、「よくやったー」と頭をなでてくれて、おやつを用意してくれた。とても嬉しかった記憶がある。
親戚のお兄ちゃんは、ピアノが上手くて英語も話せて勉強もできたので、夏休みの宿題や、英語やピアノを私に教えてくれた。
親戚の弟は、明るくて、ふざけていたずらばかりしていたけど、親戚のおじさんもおばさんも「またやられたーー」と笑っていて、怒るところは見たことがなかったと記憶している。
今、どうしてるんだろう。
あの日、母が迎えに来るはずの日だったが、誰も迎えには来なかった。
もしかしたら、事故に遭ったかもしれないと、親戚の人たちは焦っていたが、私たちには心配させまいと、「大丈夫だよー」って何度も声をかけてくれた。
夜になっても誰も来なかった。
父は、母が迎えに来ないことを知っても、
今は仕事があるから迎えに行けないと言い、
結局、親戚の家に8月終わりまでいた。
親戚のおばさんが「ここにいても大丈夫だよ。だけど家に帰りたいよね。何で迎えに来ないんだろうねぇ」と何度も言っていた。
あの時、私は子どもだったが、親戚の人たちに、多大な迷惑をかけていると感じて萎縮していた。
そして、私は母に嫌われているのかもしれないと少しだけ思いはじめた。
結局、夏休みの宿題は全部終わらないまま、
8月の終わりに、父が迎えに来て自宅へ帰ることになった。
父は車の中で、
「あそこはアイツ(母)の親戚だから、もう2度と行くことはない。あんなヤツを俺の嫁にしやがって!畜生!」と、今日まで私たちがお世話になった親戚に対して感謝ではなく暴言を吐いた。
小学校4年生ながらも、違和感を覚えた。
家に帰ると、父は浴びるほどお酒を飲んで、
部屋で泣いていた。
私は何が起こってるかわからないまま、
明日の始業式には絶対に間に合わない宿題の言い訳を考えていたのを覚えている。
母はそれきり、連絡はしてこなかったが、
後にみつかることにはなるけど…。
これは物語じゃなくて、現実。
けれど、まだ母がいなくなったことを、それほど大事件と捉えてなく、むしろ、提出できない宿題の言い訳を考えることに全フリしていた。