心、精神とは自らコントロールするものであり我々は理性をもつ。
やはりバランスが大事で、程良く満たすことが重要だと思う。だが自らの心に光もあれば闇もある、抑えられた欲望を解放することの出来るお金と知性、技術があればさらに極上の快楽を求めがちだ。それは、冒頭で述べた事となるので想像の世界に留め、さらにスケールの大きな欲望である、楽しみや芸術、苦しみや悲しみを分かち合うという事を実現したい。それこそ儚い人生にみせる人間の意地である。人と人との繋がり、愛とは何か?。
もしもこの世に男の自分1人と美人な女が1人しか存在しなければ一生、快楽に身を任せて生きるのか。それとも愛を生みだし生命を誕生させ、愛をもって子供を育て心や身体を通わしその子供にも愛によって子供を育てさせ繁栄し、分かち合う事する。この世に生命が1つでは孤独である。悪魔で究極の話だが、そういった真理、原則のようなものも諸行無常の現代ではそういった思想は愚か、儚い人生なのだから自分の好きなように生きる事こそ意地であるという考えもある。これについては、例えばお金によって得た恋人はお金によって失う。それに他人に迷惑をかけてまで快楽を得る人間は、自分は快楽を得て良い思いをするが迷惑をかけられた人はどおなるか?腹癒せに他人に迷惑をかけるかもしれない。その時点で負の連鎖を産みだしている。その負の連鎖がいつか自分に降り注ぐかもしれない。降り注いだとしても、それは自業自得であり誰のせいでもない。だからこそ、もしソレをするのであれば覚悟が必要だ。麻薬もタバコもいずれは自らの身を滅ぼす。
しかしながら私はタバコ吸う。
それは、何故か。嫌な思い、大変な思いをした時に気持ちをリセットさせる、やる気を出すために吸うのかもしれない。
もちろん長期的に考えて自ら主体的にセルフコントロールした方がドラッグに頼るよりも良い事は確かだ。今日はここまで。問題は自分がどう生きるのか、よりもどうあって死にたいか。だったりして。