「我は求め訴えたり。。」
と言ったところで誰が答えるだろうか…
「私は答える。」
己の問いに答えるのは、己である。
たとえ生身の人間に問い、返答が返ってきたとしても、その言葉は自らの聴覚から伝達され脳内で認識して精神で感じる。としよう。
その過程に於いて、内容を知るのか、理解するのかはさておき、最終的には返答を聞いて
「…~と思う(考える)自分がいる」というふうに一人称が最後にくると考える。
この場合、何らかの刺激を外部から得た時には巡り巡って自分自身の内部を刺激され、言葉で説得、納得なり解釈をする。その一種の認識を経た後、形而上なことから初めて、形而下である肉体が反応するとする。
肉体が反応するというのは、一連の流れの結果、身体がリアクションする。言い換えれば次の一瞬を生きると言ったところか。
その事から、冒頭の「我は求め訴えたり」というのは神や悪魔の存在、宗教的なるものであるが、映画やドラマ、漫画やアニメ…の様に直接的に人知を超えた存在に何らかの力を授かるという現象は無しにする。すると「我は我に求め訴えたり」というふうに言えるであろう。
つまりは、現実世界に於いて超常現象などを除けば、自分自身の精神から肉体を通して外部へ刺激を働きかけた時、形を変えて肉体から精神へと内部へ刺激される。後に、解釈をして自身を説得し納得する。
その上で、新たに刺激を外部へ働きかけ、内部でも刺激される…その繰り返しこそ生きるという事と考えられる。
何故なら、赤子としてこの世に生まれ、産声を上げた瞬間に、外部へ働きかけるという事になる。
そこから始まるのだ