競馬を30年以上実践してきた競馬投資法 -53ページ目

特別レース名 東京競馬場、京都競馬場

【第7日】 10月30日(土)
●六社(ろくしゃ)特別とは
 六社は、東京競馬場に近接する大国魂神社の別称。大国魂神社は、武蔵大國魂神を主神とする神社で、他に武蔵国の著名な六神(小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を併せて祭っていることから、六所宮・六社明神とも言う。5月5日の例大祭は、深夜に町中の灯が消され、その暗闇の中を8基の神輿が御旅所まで渡御したことから、暗闇祭と言われている。

●精進湖(しょうじこ)特別とは
 精進湖は、山梨県中南部の富士山北西麓にある淡水湖。富士五湖の1つで、面積は五湖の中で最も小さい。かつて本栖湖、西湖とは1つの湖で、「せの海」と呼ばれていたが、富士山の噴火によって現在のように3つの湖に分断されたと言われている。

●赤富士(あかふじ)ステークスとは
 赤富士は、早暁のわずかな時間に富士山が朝日に照らされ赤く染まる現象。晩夏から初秋にかけて見ることができる。葛飾北斎の『凱風快晴』を始めとして、多くの絵画の題材に用いられている。

【第8日】 10月31日(日)
●くるみ賞とは
 くるみ(胡桃)は、クルミ科クルミ属の落葉高木の総称。日本に自生する多くはオニグルミと呼ばれる種である。果実の核はきわめて堅く、中の種子は食用となるほか、塗料などにも用いられる。花言葉は「知性」。

●河口湖(かわぐちこ)特別とは
 河口湖は、山梨県南都留郡の富士山北麓に位置する淡水湖。富士五湖の1つで、富士箱根伊豆国立公園に属する。海抜830mで五湖の中では最も低い所にある。湖中には鵜の島と呼ばれる小さな島が浮かび、縄文時代や弥生時代の土器・石器が多数出土している。

●紅葉(こうよう)ステークスとは
 紅葉は、秋に落葉樹の葉の色が変化する現象。落葉に先立って、葉で赤色のアントシアニンが生成されるために起こる。一般的に1日の平均気温が5~6℃になる頃に見ごろを迎えると言われている。秋になると東京競馬場周辺の木々は鮮やかな紅葉で彩られる。

●天皇賞(秋)(GI)とは
 本競走は、明治38年(1905)5月6日に横浜の日本レースクラブが、明治天皇から『菊花御紋付銀製花盛器』を下賜され、創設した『エンペラーズカップ』を前身とする競走。翌39年には東京競馬倶楽部にも御賞典が下賜され、その後、阪神、小倉、福島、札幌、函館の計七つの競馬倶楽部で『帝室御賞典競走』が施行されていた。しかし、各競馬倶楽部が独自の競走条件で施行していたため、競走名こそ同じものの、レースの性格は統一されたものとは言えず、昭和12年(1937)に各競馬倶楽部が統合されて日本競馬会が誕生したのを機に、『帝室御賞典競走』は春が阪神、秋が東京と、年2回東西で施行されることとなった。
 第1回の12年秋は2,600m、13年春が2,700mで、3歳以上の馬によって争われた。13年秋から 4歳以上、3,200mの競走条件となり、戦争で中断される19年春(この時は能力検定競走として非公開で施行)まで続き、戦後の22年春に『平和賞』の名で復活。同年秋から現在の名称である天皇賞となり、春が京都、秋は東京で施行され、長い歴史を誇る天皇賞は古馬最高の栄誉とされてきた。56年に勝抜制が廃止されて過去の優勝馬にも出走権が与えられ、59年には秋の天皇賞を2,000mに短縮、さらに62年には3歳馬にも秋の天皇賞への出走権が与えられた。これにより春は4歳以上のステイヤーの日本一を決定するレース、秋は3歳以上で中距離のナンバーワンを決めるレースと、その性格が明確に分けられた。なお、国際交流競走として競走内容の充実を図る観点から、平成20年よりせん馬にも出走資格が与えられた。

●東京ゴールデンプレミアム(エアグルーヴメモリアル)とは

 本競走は、売上げの5%相当を上乗せして払戻をする「JRAプレミアムレース」全24競走の内の1つ。黄金のように価値のあるプレミアムレースとして「ゴールデン」を冠している。
 競走名に併記されているエアグルーヴは、過去の『天皇賞(秋)』優勝馬から、ホームページ上のファン投票によって選出された平成9年の同レース優勝馬。

第7日】 10月30日(土)
●萩(はぎ)ステークスとは
 萩は、マメ科ハギ属の落葉低木の総称。葉は3枚の小葉からなる複葉で楕円形。秋、蝶形で紅紫色の花を総状につける。万葉集には萩を詠んだ歌が約130首もあり、植物を詠んだ歌の中では最も多い。秋の七草の1つでもある。花言葉は「思い」「思案」。

●西陣(にしじん)ステークスとは
 西陣は、京都市上京区の新町通から西へ千本通に至る、一条通より北の一帯のこと。名は応仁の乱のとき、西軍の山名宗全が陣を置いたことに由来する。西陣織で有名。

●毎日放送賞スワンステークス(GII)とは
 本競走は、昭和33年に4歳以上1,800mのハンデキャップ戦として創設された競走。36年に別定重量に、47年には1600mに距離を短縮(55年は小倉の2,000m)、さらに59年の番組改革で1,400mの重賞競走となった。また、施行時期も春から秋に変更となった。
 競走名のスワン(Swan)は、英語で「白鳥」の意味。京都競馬場の馬場中央の池を泳ぐ白鳥は同競馬場のシンボルであり、昭和32年にオランダから購入したもので、現在は約70羽が生息している。 なお本競走は、毎日放送より寄贈賞を受けて施行される。毎日放送は、大阪に本社を置く放送局。近畿地区を放送エリアとする。TBS系列。

【第8日】 10月31日(日)
●高雄(たかお)特別とは
 高雄は、京都市右京区の地名。清滝川に接し、古くから京都郊外の紅葉の景勝地として有名。栂尾、槇尾とともに三尾と呼ばれ、付近には国宝『源頼朝像』やかわらけ投げで有名な高雄山神護寺がある。
 
●長岡京(ながおかきょう)ステークスとは
 長岡京は、京都府南西に位置する市。昭和24年に新神足、海印寺、乙訓の3村が合併して長岡町となり、47年に市制施行。京都盆地西部、桂川西岸の沖積地と丘陵地を占め、乙訓タケノコで知られる。地名は延暦3年(784)に桓武天皇が造営した長岡京に由来し、真言宗の乙訓寺、長岡天満宮、浄土宗西山光明寺派総本山の光明寺がある。

●カシオペア(Cassiopeia)ステークスとは
 カシオペアは、晩秋の頃北の空に見られる星座。北斗七星とともに北極星を探す指標となる星座として知られている。星座の形がM型やW型に見えたりすることから「山形星」「錨星(いかりぼし)」とも呼ばれる。名前はギリシャ神話に登場する古代エチオピア王妃のカシオペイアに由来する。カシオペイアは、自分の娘の美貌を誇りすぎたため海神ポセイドンの怒りに触れ、天に上げられて星座になったと伝えられている。

スタートの瞬間が大きな注目を集めることに

 はたしてペルーサは、まともにゲートから出ることができるのか。こればかりは、いくらゲート練習をしても、本番では馬が緊張してしまうから、やってみなければ分からない。

宇津井 健(うつい けん)さん

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【PROFILE】宇津井 健(うつい けん)
1931年10月24日生まれ、東京都出身。
早稲田大学在学中は馬術部に所属。1952年俳優座養成所4期生となる。1953年『思春の泉』主演で映画デビュー。新東宝と大映映画で計112本の映画に主演。以降、活躍の場をテレビにも拡げて、『ザ・ガードマン』、『“赤い”シリーズ』、『さすらい刑事旅情編』など、数多くの高視聴率ドラマに出演。現在、『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)、『黄金の豚』(日本テレビ系)に出演中。12月には映画『相棒‐劇場版II‐』(東映)が公開予定。

所属事務所ホームページhttp://www.someday.bz/





--NHK土曜ドラマ『チャンス』ではJRAの調教師役を演じられた宇津井さんですが、配役が決まった時にはどのようなことを感じられましたか?
「本当にうれしかったですね。数年前に亡くなられた成宮明光元調教師とは長らく懇意にしてもらっていたのですが、役が決まった時は彼の奥様に早速連絡して、『成宮さんのことを思い出しながら、僕は調教師の役を演じます。完成したら、ぜひ見てください』と伝えたぐらいです。また、僕は乗馬という趣味を50年以上続けてきたので、馬の扱いには慣れているというか、ちょっとは自信を持っていました。だから、『この役を演じ切れる人間は日本中を探してもオレしかないだろう』と、それぐらいの自負を持って引き受けさせてもらいました(笑)」

--役作りの一環として、収録が始まる前にされたことは何かありますか?
「調教師はどういう仕事をするのか、漠然とは分かっていたつもりでいたのですが、実際に美浦トレーニング・センターに足を運び、トレーナーの方たちの現場での様子を見ながら、改めていろいろ学んできました。また、役を演じるにあたり、今回はすべての衣装を自分で用意させてもらったのですが、調教師の皆さんの服装も、その時にじっくりと勉強してきました。それに関して言えば、一般的には競馬の調教師というと、ハンチング帽を被っているという印象があると思うんです。そこで、いつもハンチングを被っている後輩の地井武男さんに、おすすめの帽子屋さんを紹介してもらったりもしたんですよ」

--ところで、チャンス役を演じたギルデッドエージは、競走馬時代には中山大障害などの大レースを勝った馬ですが、初めて会った時にどんな印象を持たれましたか?
「『おとなしくていい馬だな』というのが最初の印象ですね。ただ、撮影の環境というのは特殊で、いろいろな角度からライトやレフ板で照らされたり、頭の上にマイクが突然出てきたりするわけなんです。ですから、最初の頃は馬がかなりナーバスになっていましたが、『不安がらなくてもいいんだよ』と、何度も声をかけてあげると、やがて落ち着きを取り戻してくれましたね。ドラマの中で僕は、神経質になっているチャンスに名曲“ダニーボーイ”のメロディーを口ずさんで落ち着かせるシーンを演じましたが、カメラが回っていないところでも、“チャンスの調教師役”を全うできたと思っています」