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1月15日の特別レース名の解説です。

【第5日】 1月15日(土)


●黒竹(くろちく)賞とは


 黒竹は、イネ科のタケ類の一種。黒の稈(かん)はタケ類のなかでも珍しい。
中型で日本各地に分布するが、主な生息地は高知県中土佐町と和歌山県日高町。
ハチク(淡竹)の仲間であり、同種内の変異から生まれたと考えられている。


主に建築物や家具の装飾材、庭園などに使われる。
稈の色は、生え始めの頃は緑色で、秋頃からメラニン色素が増えて黒色に変わる。


●サンライズステークスとは


 サンライズは、英語で「日の出」の意味。


●ニューイヤー(New Year)ステークスとは


 ニューイヤーは、英語で「新年」の意味。「元日」は“New Year’s Day”。

新年の挨拶は“Happy New Year”。

【第5日】 1月15日(土)

●牛若丸(うしわかまる)ジャンプステークスとは


 牛若丸は、源平合戦で大活躍した源氏の武将、源義経の幼名。


義経は、源平の合戦の1つである壇ノ浦の戦いで、敵将平教経と遭遇した際に、
舟と舟との間を飛び移ったとされ、その距離が舟八艘分もあったことから
「八艘飛び」の名で今日にも伝わっている。


●逢坂山(おうさかやま)特別 とは


 逢坂山は、滋賀県大津市西部と京都府の境、比良山中にある山。


別名関山とも呼ばれる。標高約325m。
古くから交通の要衝として関所が置かれ、鈴鹿関、不破関と並んで三関に数えられ、
平安京の防衛に重要な役割を果たした。この関から東の地域を東国・関東と呼んだ。


●石清水(いわしみず)ステークスとは


 石清水は、石清水八幡宮の略称。石清水八幡宮は、京都府八幡市にある元官幣大社で、
伊勢神宮に次ぐ宗廟として歴代朝廷の崇敬が篤く、
鎌倉時代以降は源氏の氏神として武家の崇敬も深かった。


●大和(やまと)ステークスとは


 大和は、五畿内の1つで、奈良県全域を占める旧国名。

飛鳥京、藤原京、平城京などの都が置かれ、室町時代初期までは寺社が大きな勢力を誇っていた。
日本の異称としても用いられる。


明治9年(1876)に堺県(現在の大阪府堺市)と合併、
20年(1887年)に奈良県として分離した。

特別レース名解説

【第5日】 1月15日(土)

●黒竹(くろちく)賞とは

 黒竹は、イネ科のタケ類の一種。黒の稈(かん)はタケ類のなかでも珍しい。
中型で日本各地に分布するが、主な生息地は高知県中土佐町と和歌山県日高町。
ハチク(淡竹)の仲間であり、同種内の変異から生まれたと考えられている。
主に建築物や家具の装飾材、庭園などに使われる。
稈の色は、生え始めの頃は緑色で、秋頃からメラニン色素が増えて黒色に変わる。


●サンライズステークスとは

 サンライズは、英語で「日の出」の意味。

●ニューイヤー(New Year)ステークスとは

 ニューイヤーは、英語で「新年」の意味。「元日」は“New Year’s Day”。

新年の挨拶は“Happy New Year”。

【第5日】 1月15日(土)

●牛若丸(うしわかまる)ジャンプステークスとは

 牛若丸は、源平合戦で大活躍した源氏の武将、源義経の幼名。

義経は、源平の合戦の1つである壇ノ浦の戦いで、敵将平教経と遭遇した際に、
舟と舟との間を飛び移ったとされ、その距離が舟八艘分もあったことから
「八艘飛び」の名で今日にも伝わっている。

●逢坂山(おうさかやま)特別 とは

 逢坂山は、滋賀県大津市西部と京都府の境、比良山中にある山。

別名関山とも呼ばれる。標高約325m。
古くから交通の要衝として関所が置かれ、鈴鹿関、不破関と並んで三関に数えられ、
平安京の防衛に重要な役割を果たした。この関から東の地域を東国・関東と呼んだ。

●石清水(いわしみず)ステークスとは

 石清水は、石清水八幡宮の略称。石清水八幡宮は、京都府八幡市にある元官幣大社で、
伊勢神宮に次ぐ宗廟として歴代朝廷の崇敬が篤く、
鎌倉時代以降は源氏の氏神として武家の崇敬も深かった。

●大和(やまと)ステークスとは

 大和は、五畿内の1つで、奈良県全域を占める旧国名。
飛鳥京、藤原京、平城京などの都が置かれ、室町時代初期までは寺社が大きな勢力を誇っていた。
日本の異称としても用いられる。

明治9年(1876)に堺県(現在の大阪府堺市)と合併、
20年(1887年)に奈良県として分離した。

2007年 スポーツニッポン賞京都金杯(GIII)

2007年 スポーツニッポン賞京都金杯(GIII)

 新たな年のスタートを飾る金杯が、
東西揃って行われるようになったのは昭和38年以降のことだが、
この名物重賞をかつて東西ともに制したのは、競走馬では「6年連続JRA重賞勝利」
の記録でも知られる個性派ドウカンヤシマ。
そして、ジョッキーとして初めて東西制覇の快挙を達成したのが、
今も関東屈指の実力者として名を馳せるベテラン・柴田善臣騎手である。

2007年 スポーツニッポン賞京都金杯(GIII)
 同騎手の“金杯”初優勝は、平成14年の日刊スポーツ賞中山金杯。
この時は1番人気ビッグゴールドに騎乗し、後方から鋭く追い込んでのハナ差勝ちであった。
そして、5年後のスポーツニッポン賞京都金杯では、当時4歳のマイネルスケルツィに騎乗。
巧みな逃げ戦法で大向こうを唸らせた。
ちなみにその年の出走メンバーを振り返ってみると、
後に高松宮記念を制することになるキンシャサノキセキや、重賞ウイナーのサクラメガワンダー、
フサイチリシャール、マルカシェンクなど、実に豪華な顔触れ。
各馬に課されたハンデキャップからも上位拮抗の勢力図が見て取れたが、
それ以上にレースを難解にしていたのが“逃げ馬不在”の状況であった。
そうしたなか柴田善臣騎手は、まずはパートナー・マイネルスケルツィの
スタートを決めることに専念。スムーズにゲートを飛び出すと、
そのまま先頭のポジションを確保し、まんまと自分たちのペースに持ち込んだ。
そして最後の直線では、道中ためた脚でしぶとい粘りを発揮。
後続の勢いが稍重馬場にそがれるのを横目に、1馬身1/4のリードを保って悠然と
ゴールに飛び込んだ。