3日目の夜の講話で、
いよいよ明日からヴィパッサナー瞑想になります。と言われる。

これまでは、ヴィパッサナーの準備段階として、アーナパーナを行ってきた。

例のおばちゃんのために、
雑念だらけになってしまい、
感情が溢れ出し、
こんな状態でヴィパッサナーに入ることができるのか?
とても不安になってしまった。

指導者への個別の質問は、昼休憩中か夜の瞑想が終わってから受け付けてもらえる。
唯一その時だけは他人とコミュニケーションがとれるわけだ。

夜の瞑想の後、質問の列に並んだ。

感情が溢れ出したこと、
そして原因のわからない激痛の話をし、
こんな状態でヴィパッサナーに入ってもいいものか?と。

答えはわかっていた。

ただひたすらに、続けることだ。

不安も、解決法を教えてもらえるのではないかという期待もすべて嫌悪と渇望という苦悩の原因にすぎないのだ。

質問しながら、自分の未熟さに気付かされる。

部屋に戻る。

例のおばちゃんは、いなかった。
いつも段取りが遅いので、ギリギリのシャワーに浴びに行っているようだった。

その隙に寝てしまおう!
と試みる。

少しウトウト。した時に、おばちゃんが戻ってきた。ガチャガチャが始まった。

それでも気にしないよう、言い聞かせる、

ようやく静まった。

のは束の間、今度は心の中でらマダムと呼んでいたおばさまから大音量のいびきと寝言が。

しばらくすると、様々なところから寝息やらいびきやらが。

まったく、眠れない。

明日からヴィパッサナーというプレッシャーなのか、みんなのいびきが気になってしまう。

気分転換にトイレに行く。

トイレは建物の外にある。

空見上げると、まもなく満月のお月さまが美しく輝いていた。
虫の声、緑の匂い、川のせせらぎ。
はあーーーー。と深く息を吐いた。
山の中だから冷える。

でも、毛布でも持ち出してここで眠れないものか?と考えたりもする。

やっぱり自然の一部なんだろうな。
こんなに落ち着いた気持ちになれるなんて。

しばらくお月さまを眺めて、宿泊棟に戻った。

部屋に戻る手前のホールに立つと、他の部屋からも大音量のいびきが聞こえた。

私だけではないのだ。
なんて自分は小さいんだろう。

そんな気づきを得ながら、部屋に戻った。

窓の外の月を見ながらベッドに潜り込む。

部屋の中は、いびきの大合唱。みんな疲れているのだ。
月といびき、、、。
ジュラシックパークみたいだ。

と思った途端、笑いが込み上げてきた。

いかんっ!!声を出して笑ってしまいそうだ。

笑いを必死で堪えて思った。

眠れなくても、いいや。

横になりながら、目を閉じ、瞑想をすることにした。

午前4時の起床の鐘と共に飛び起きて顔を洗いに行った。

さぁ。いよいよ午後からヴィパッサナーだ。

朝イチの瞑想では、一睡もしなかったおかげで、
ほぼ舟を漕いでしまった。情けないっ。

ヴィパッサナー瞑想になると、最低1時間は決めた姿勢から一切動いてはならない。

ひたすらに自分の身体に起きる感覚を観察し続ける。はじめのうちは誘導してもらい、それをひたすら続ける。

旅人は笑いヨガをリードしている。
笑いのエクササイズを行なった後、クールダウンとして、ヨガニドラを誘導する。
はじめはそれによく似ているなと思った。

だが狙いがまったく違っていることに、後々気づいていくことになる。

うまくできていない!といいながらも三日間瞑想していれば、少しずつできるようになっている。

はじめの30分くらいはおそらく楽勝だ。
それを過ぎた頃から、さまざまな反応が現れ出す。痛みや感情の起伏、さまざまなイメージ、時には恍惚感。
よく瞑想をされる人に言わせると、うまく瞑想状態になると最高の恍惚感を得られると聞く。
旅人もその経験はある。
だが、ヴィパッサナーではそこが落し穴だという。つまり恍惚感を求めてしまう心が苦悩の原因となるからだ。
瞑想は恍惚感を得るのが目的ではない。

いいでも、悪いでもなく、ひたすら平静に穏やかに。
それらは永遠に続くものではなく、無常であると理解する。
すべての反応もまた同じで、感覚を通してそこを理解するのだ。

そして、6日目の午前の瞑想の時間に奇跡がおきた!

例のおばちゃんが、はじめの5分以降、とても静かな呼吸で、小さな動きだけで1時間瞑想できたのだ!!

なんだか隣に座りながら、涙が出るほど嬉しくなってしまった。
やればできるんだ。
人って変われるんだ。
なんて素晴らしいんだ!!

午前の瞑想後の休憩になって、コミュニケーションがとれないので、席を立つ彼女の背中に思いっきり親指を立てて、「いいね!」してしまった。

だがしばらくして、嬉しさのあまり、喜ぶ自分に気づく。

この感覚も追ってはいけないんだ。
これが苦悩の原因となるんだ。

翌日、思い知らされる。

またおばちゃんが逆戻りしている。

つまり。

旅人が勝手に嬉しがって、期待して。
いつもなら裏切られた気分になるが、
おかげで、ただただ自分の愚かさに気付かされた。

ただ目の前に起きていることをありのままに受け止めるだけ。

今日いいから、明日いいとは限らない。
いや!
今いいことは次の瞬間に続くとは限らない。

そんな執着を少しずつ手放す。

手放す。

手放す。

毎日、楽しみな休憩時間の散歩。
歩きながら、自然の輝きを感じて、
五感が敏感になっているなと感じるようになってきた。

つづく