聖なる沈黙が始まった初日の夜。
落ち着きのないおばちゃんのガサゴソも、
なんとか気にならなくなった頃に
4時の起床の合図である鐘がなった。
いよいよ第一日目スタートである。
とても爽やかな目覚めだった。
まだ興奮しているのだろうか。
4時半からホールに入り、瞑想をするため、
素早く朝の支度を済ませる。
旅人は、朝起きてすぐに舌掃除と鼻うがいを欠かさない。もちろんここでも同じだ。
歯磨きをして顔を洗う頃には、スッキリと目覚めていた。
昨日の夜から、誰とも話してはいない。
目もできるだけ合わさないようにしている。
まだ夜明け前のホールは、真っ暗でシーンと静まり返っていた。自分の場所に座り、瞑想を始める。
しばらくすると、あたふたしながらおばちゃんが横に座った。
後にわかったことだが、脊椎間狭窄症とか椎間板ヘルニアとかあっちゃこっちゃ悪いらしく、いつまでたっても姿勢が定まらない様子で、ずっと横でゴソゴソしていた。時折、鼻をブーブー鳴らし、くしゃみが始まり、咳が止まらなくなっていた。
旅人は不覚にも今回の不思議な偶然について、考えてしまっていた。
なぜだ?
なぜここにきてこんなにやかましいのだ?
自分と向き合いたくてここにきた。
ひたすら静寂の中で、徹底的に自分と向き合うためにここにきたのに。
すると今度はおばちゃんへの怒りが出てきた。
そもそもなぜここにきたのだろう?
ここの目的をわかっているのか?
衣摺れの音すら配慮しなくてはならないというのに、隣で動きっぱなし、いつになったら静かになるんだ?
咳してるけど、風邪引いてるんじゃないのかな?
まだこれから長いのにうつされたら、嫌だな。
スタッフはなぜ注意をしないのだ?
と、こんな感じ。
そして今度は、天使が現れる。
いやいや、この人きっといい人にちがいない。
普段に会ってれば、きっと気さくに冗談を言いながら話せる人だ。
くしゃみや咳は生理現象だから仕方ないよね。
きっと体が痛いんだね。大変そうだな。
そして今度は自分を攻撃し始める。
こんなことぐらいでイライラしてるなんて、なんて情けないんだ。
他人を許せなくてどうするのだ?
こういうことも含めて、すべで大らかな愛で包まなくちゃだめじゃん。
心の中はおしゃべりだ。
瞑想に来たのに、頭の中でいつも以上におしゃべりをしている。
6時半。朝食の鐘。
うーーーーーー全く瞑想できんかった。涙
どーなるんだろう??
情けないやら、不安やら、焦りやら、
いきなりいろんな感情が吹き出している。
さっ!朝ご飯でも食べて気分転換しなくちゃ!
ここでは朝と昼に食事が出て、正午以降は食事を摂らない。
ただし、旅人のような初心者のみ夕方にフルーツが許される。
食堂に入ると一列に並んで好きな分だけ出された食事を盛り付けていく。白米や玄米、味噌汁、あとちょっとした野菜。梅干しが酸っぱくて塩っぱくて。好みの味。とてもおいしかった。
和食中心のベジタリアンメニューだ。
思ったよりご飯が美味しくて、梅干しとほうじ茶で満足だった。2日目に気づいたのだが、パンもとても美味しい。バターやオリーブ油、ごまペーストが用意してあって、油不足になりがちのメニューだったので、意識的にパンにつけて食べた。
全体的におかずは薄味で、刺激物は一切使用していない。瞑想に適した食事らしい。
朝食を終えて、しばらく休憩時間がある。
とても気持ちのいい天気で朝露がキラキラとしていた。スマホがあれば撮影していたのだろうが、ないので撮ろうかどうしようか?どこで撮ろうか?どうやっても撮ろうか?という迷いも無い。
ただ、目の前にある美しい風景を愛でる。
静かで穏やかで、あーーーーー。
ほんとはあんまり体操とかもしてはいけないのだが、気功でいつもやっている通天貫地をしたくなった。
幸せだー。幸せだー。
足元を見ると、細長い虫がいて、
踏まないように気をつける。
とっても気をつけていたのに、バランスを崩して、、、?????
あの虫がいない?
いない?いない?
よーく見ると、旅人の足の裏で潰れていた。
あーーーーシーラ(戒律)を破ってしまった。
と、しばし落ち込む。
シーラとは、まずここのセンターで瞑想するにあたって課せられる戒律のことだ。初心者に課せられるのは次の5つ。
1.いかなる生きものも殺さない
2.盗みを働かない
3.いかなる性行為も行わない
4.嘘をつかない
5.麻薬や酒などを摂取しない
1つ目を破ってしまった。
気を引き締めよう。
盗みってね、いわゆる物だけじゃ無いと思う。
人の時間を奪うこともなんだよなー。と呟いていた。貴重な時間なんだよ。ここに来て、ほんとに自分と向き合いたいんだ。
ちなみに酒は全然なくても平気だよ。笑
午前の修行では、アーナパーナ瞑想の指導が行われた。
唇の上を底辺にして、鼻の付け根を頂点とした三角形。ひたすらそこの感覚に集中して、呼吸による微細な変化を感じ取る。どんな感覚をも見失ってはいけない。ただし三角形以外の感覚は気にしない。雑念が出れば、そこに戻る。
隣のおばちゃんは相変わらずブーブーと音を立てている。何度も鼻をかんだり、ゴソゴソしている。
三角形をひたすらに意識して、集中していく。
するとだんだん過去に遡っていく自分がいた。
怒り繋がりからだろうか?
過去に起きた、怒りが現れては消えていく。
かつての職場で不本意な疑いをかけられ、責められた時のこと。
配偶者とのミスコミュニケーション。
息子が苦しんでいるのに何もしてやれない、母親としての不甲斐なさ。
そして、さらに遡り幼少期にヒステリックな母親から殴られたり、罵られたり、大切なものを壊されたりしたこと。
その他、もろもろ。
それでも、セドナへ行った時、旅人はその母親を選んだということに気づき感謝が溢れたこと。
グルグル、雑念オンパレード。
喋らない時の方が、心はおしゃべりだな。
身体はそこにあったが、意識は時空を超え、その感情を経験したところにいた。
それを俯瞰で眺めていた。
たくさん訴えたいこともあった。
うまく伝わらなくてもどかしかった。
わかってもらえない苦しさが、胸を熱くし始めた。
ただ、ただ、愛していただけなのに。
ただ、ただ、愛されていただけなのに。
ねじ曲がってしまった愛情。
ねじ曲がった解釈。
色がついてしまった事実は、本質を覆い隠してしまう。
涙が溢れて、止まらなくなってしまった。
一通り
オンパレードが終わると、心に静寂がやってきた。
ひたすら呼吸を意識すらアーナパーナは、4日目の午前まで続く。
まだポジションが定まらず、旅人も何度か姿勢を変えていた。足が痛くて仕方がない。足を組み替えながら、耐えていた。
そして。なぜかずっと右の背中が痛む。時折、太い剣で刺されたかのように痛くて、息すらできない時もあった。
夕方の瞑想が終わると、19時から講話がある。
1日目の講話の第一声は、
みなさん。1日目が終わりました。
足が痛くてたまらないでしょう。
痛くていいのです。それでいいのです。
見透かされているかのように、話が始まったのだった。
そして、もう一つ。
ここでは、人に迷惑をかけてはいけません。
でももし迷惑をかけられたら、気にしてはいけません。
はい。
その通り。
旅人にとって完璧なシチュエーションが用意されていたのだと思い知らされた瞬間。
隣のおばちゃんのことすら、
気にならなくなるほど、深く瞑想に入ることができるようになるかな。
つづく