奈良の法相宗大本山薬師寺。
10年ほど前から、数年に一度くらいお参りすることはありましたが、ちゃんとしたご縁をいただいて三年。
今年も修二会花会式に参加させていただいた。
薬師寺のお坊さまたちは、ユーモアたっぷりお話し上手で、楽しく仏の世界を教えてくださいます。しかもみなさん体育会系のノリでさっぱりしていて清々しいので、大好きです(^^)
かの有名な、故高田好胤師かこの薬師寺を見事に蘇らせたDNAが脈々と受け継がれているのでしょうか。
そして何より好きなのが、修二会に行われる薬師悔過のお経。
激しい鐘🔔
法螺貝の響き
地から湧き上がるような太鼓
独特のリズム、参詣者も一つとなって朗々と、時に全身を振り絞って叫ぶように唱える、変化の富んだお経を南都声明と言うそうです。
なぜか、今年はこれまでの中で一番、堂内が一つとなった!と感じられたのです。
なんだか本当にありがたくて、涙が出てきました。
もうお坊さまたちだけが、ただひたすら唱えるのではなく、集いし人々がみんなで心を合わせる。
なんと素晴らしく、なんと美しい光景なんだろうと。
新しい時代が開かれだしたのだ!と、感じました。
はじめに薬師寺の境内を楽しみました。
修二会で大勢の方がお参りされています。
写経道場では、館主の加藤朝胤師のお話を聞きながら、気がつけば写経に没頭してました。
さて、今回は最終日だったので結願法要です。夕方からは先程ご紹介した悔過法要が金堂で行われました。今年は土曜ということもあり、これまでではいなかったような類?の人たちも多く見受けられました。
多くの人が参詣するのはとてもよいことですね。
幻想的な悔過法要が終わると、いよいよ外に出て鬼追式です。
引火覚悟の一番前!!練行衆たちが神供の儀式を行います。神仏習合です。
神と仏は一体となり、国家安寧、五穀豊穣をもたらします。
燃え盛る松明を持った鬼さんたちが大暴れします。勢いよく燃えさかる炎に呼応するが如く、鬼たちもさらに激しく暴れます。
法被衆が落ちた炎をすかさず鎮火させながら後を追います。
勇壮な儀式は今年も滞りなく終わりました。
翌朝は、休ヶ岡八幡へ修二会無事終了のご報告と感謝の参拝です。神主の祝詞に続き、練行衆によって般若心経を唱える。
大谷徹奘師と一緒に。とても気さくだけど、実直でおおらかな方です。
休ヶ岡とは、宇佐より八幡神を大安寺へ勧請する際、ひと休みしたところから休岡と言われるようになったそうです。
神仏習合の始まりの時代である。
日本という国は仏教を日本流に取り入れ、日本の神々と融合させた。今私たちの細胞に染み込んでいるのは、あらゆるものを受け入れ、融合できる、調和力だ。決して敵対せず、比較せず、諂いもしない。心より平和を愛する国民性なのだ。
修二会のすべてがおわり、今年は最高のサプライズ。なんと!修二会の片付けのお手伝いの希望者が募られた!
喜んで参加させていただいた。
広い境内、たくさんの花会式のお道具。
なんと旅人は。内陣の結界を作るために、呪師が持っていた劔を片付けさせていただいた。身の引き締まる思いだ。さらに、ありがたいことに国宝の薬師如来坐像、日光菩薩、月光菩薩のお磨きをさせていただけた。お参りしてから靴を脱ぎ薬師如来の足元から左肩までを丁寧に丁寧に感謝と愛を込めて磨かせていただく。なんとありがたいことだろう。
広い境内の掃除や、お道具を運ぶために軽トラの荷台に乗って移動したり。笑
大好きな薬師寺のお坊様達と共に汗をながせました。なんだか、とても薬師寺が身近になった気がします。
近鉄奈良駅に戻り、春日大社を参拝。
若宮の例大祭でした。
清々しい氣の中で、厳かに行われた神事。
大祓詞を共に奏上できて幸せだった。
大氣が喜び、太い光の柱が降りていた。
二月堂に向かう途中、手向山八幡宮にたどり着いた。先ほどの休ヶ岡八幡よりさらに前、寺院に八幡神が勧請された最初といわれている。
ここでも例祭があり、雅楽の奉納があった。
朝から相当動いていたので、しばらく雅楽を聴きながら体を休ませていただく。
明治の廃仏毀釈と言えども、さすがに奈良には手を出しにくかったのかもしれないな。
この辺りの寺は、檀家制度ではなく、国家安寧のための寺院が多いからかもしれない。
日本は二本。二本立て。
異質なものを、融合させて
さらに大きなエネルギーに転換させる民族、
神仏分離令は、対立を生みだし、
エネルギーか収縮するエネルギー。
日本らしさ失わせるための、見えない力の働きだったのかもしれませんね。
あえて、日本人はそれを経験する必要があったのかもしれません。
そして最近になって、そこに気づく人がぼちぼち現れだした。
金堂の感動はそのためだったのかもしれないな!