「日本で最も美しい村」推進エンジンの一つが、文化の村づくり。
人生100年時代。
心を豊かに生きる選択肢は、多いにこしたことはありません。
文化の価値は今後、ますます高まるでしょう。
そんな立場だけに、実は私、あまり人に明かしたくない“黒歴史”があります。
芸術への強い苦手意識です。
子どものころから、絵を描いたり、歌をうたったりするパフォーマンスのみならず、鑑賞することさえ好みませんでした。
かなりの重症でした(苦笑)。
そんな心の鎖がほどけたのは、子どもを授かってから。
幼い子どもって、技術の巧拙にかかわらず、歌ったり、絵を描いたりすることが好きなもの。
いつしか私も、一緒になって楽しめるようになりました。
もちろん、大人になったからといって、創作が得意になったわけではありません。
ただ、下手でも気にしなくなりました。
村長になってからは、積極的に芸術を楽しみたいとも思えるようになりました。
これまで以上の幸せを感じています。
さて、それでは子どものころから抱き続けた芸術に対する嫌悪感とは、いったい何だったのか?
学校に上がる前は、そんな様子はなかったようです。
年を重ねるにつれて、苦手意識が増していった記憶があります。
いろいろ分析してみると、学校の「評価」に原因があったようです。
私の中学時代は、今のような絶対評価ではなく、相対評価だったため、生徒総数に応じて「5」は●人、「4」は■人…と分けねばなりませんでした。
なので、必ず「2」や「1」の低評価をされる子どもがいたわけです。
一生懸命さや熱意は、評価されづらい環境。
先生も辛かったかもしれません。
私はそれほど不真面目な生徒ではなかったはずですが、創作的な活動は上手ではなかったため、芸術科目で「3」より大きな数字をもらった記憶があまりありません。
時には「2」を頂戴したことも…。
かなり、ショックだったと記憶しています。
いつしか、私の中で芸術は「つまらないモノ」になってしまいました。
そうして、大人の階段を上っていったわけです。
今は絶対評価なので、「5」や「4」が何人いても問題ありません。
ペーパーテストで明確に点数が出るような主要5教科でも、授業態度が良く、熱意があれば、平均点を大幅に超えるテスト結果でなくても、最高評価をもらえるケースは往々にしてあります。
しかし、実技系科目の評価はいまだ、技術的な巧拙に大きなウエイトを置いているケースが多いようです。
私は、20年以上の長きにわたって芸術を避けてきたことを、本当にもったいなく感じています。
私は人生後半戦に入って、運よく芸術を楽しむことができるようになりましたが、すでに記憶の底に沈んでいるような「学校での低評価」のために苦手意識を打破できずにいる人は、案外と多いのではないかと推測します。
2020年度から始まる新学習指導要領の目指すところは、
「生きる力 学びのその先へ」
です。
超情報化、AIが跋扈する機械化の時代においては、まさに学びの先にある人間的な豊かさが非常に重要であると考えています。
いろいろなことに関心を持ち、教養を深められる人間の育成。
子どもたちに、文化に親しんでもらう素養を身に付けてもらうために何をすべきか。
文化への関わりの楽しさを伝える教育へ。
文化の薫りあふれる村づくり、超高齢化社会に即した村づくりを進めるにあたり、私のような大人になる子どもを一人でも減らしたいと強く思います。
関心を持って見つめていきます。
明日からも穏やかな日々を。
周囲への感謝と笑顔を忘れず。