2021年3月、左乳房のがんを部分切除しました。
その後、放射線治療終了後、ホルモン療法を継続しています。
先週、台風で電車が止まったために、予約した日に受診できず、
一昨日やっと行くことができました。
いつもより少し早い時間帯、採血は8時半、乳腺外科は9時半の予約。
何故か珍しく空いていて、順調に終わりました。
血液検査の結果は「異常無し」ということで、胸をなでおろしました。
検査結果を言われる時の緊張感、なかなか慣れません。
命にかかわる病気ですから。
「先生、先に結果を言ってよ!」という患者さんがいると、
先生がおっしゃってました。
気持ちわかるわ~
もうすぐ72歳になる私ですが、いつもドキドキしてしまう。
欲が深いなあ・・・いくつまで生きるつもり気?
一人娘のため、同居している妹のため、
悲しませたくないので、少しでも長く生きたいと思ってしまうの。
結局なるようにしかならないけれど。
さて、タイトルの「+」について。
長くなります、後ろ向きの内容です、ご容赦下さい。
通っている大学病院は、亡くなった夫も通っていました。
11月には亡くなって丸3年になろうとしています。
一時期は夫と私で、同時にがん治療をしていた病院です。
病院内のここも、あそこも・・・
一緒に通った夫のことを思い出すばかりで、3年という月日が経っても、
まだ悲しくて、目を背けている自分がいます。
1階から上に行くエスカレーターに乗ると、「血液腫瘍内科」の診療室が見える。
外側のベンチに座って、夫と順番を待っていたなあ・・・
私が時々、診察順の番号表示を見に行って確認、
番号が近くなると、夫と一緒に中のベンチに移動したものです。
2階に着くと「外来化学療法室」のベンチが見えます。
夫が化学療法に通った頃、そこに座って3時間も4時間も終わるのを待っていました。
コロナが大流行していたので、外の喫茶店に行くこともできず、
お昼は駐車場に停めた車の中でパンとかひとりで食べて・・
暑かったけれど、あまり感じずに過ごしていました。
3階に着くと、「耳鼻咽喉科」の診療室がある。
夫が固形物も水分も飲み込み難くなって、
こちらの大学病院に初めてかかった時は「耳鼻咽喉科」でした。
その後の組織検査で「悪性リンパ腫」とわかり「血液内科」にかかることになりました。
びっくりしました。
そして最後に夫がこの病院を受診したのも「耳鼻咽喉科」でした。
甲状腺にがんが集積したため、いずれ呼吸ができなくなると言われ、
気管切開ができる状態かどうかを診てもらうためでした。
結局、下手にメスを入れてがんを刺激すると悪化するかもしれない、
そう言われて、すごすごと家に帰りました。
あの時は妹と夫と3人で行ったのですが、
夫は大変具合が悪そうでした。
その後すぐ発熱(何らかの感染症にかかったとのこと)
地元の病院に再入院して、あっという間に亡くなりました。
最後の様子はあまりに苦しそうだったので・・・
今まで書き留めることができませんでした。
とにかく息ができないんですから。
そばに居ながら、何もしてあげることができませんでした。
「悪性リンパ腫」はそのほとんどが治る病気です。
実際、リアル周囲の患者さんは、皆さん寛解、元気に10年とかご存命です。
夫の死亡診断書に書かれていた死因は「難治性悪性リンパ腫」でした。
最近、夫とよく訪れたお蕎麦屋さんに行きました。
なつかしくて涙が出てしまった。