また失敗!ああ入京!!五個荘→草津宿 | 新労社 おりおりの記

また失敗!ああ入京!!五個荘→草津宿

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いざ中山道の合流点へ‼️醒ヶ井宿→八日市

の翌日、中山道踏破の続きです。

 

甲斐の戦国大名・大僧正、武田信玄は病没するときに「もう少しのところだ…もう少し」と言ったそうですね。もう少しでできるはずだった信長や家康を破って“上洛”して、天下に号令する機会がもう少しで実現できるところだったのです。

 

時代は変わって令和の現代。兵力は信玄軍の4万に対して自転車1台。私も死にはしませんが、同じ思いをしました。天下に号令なんてしませんけれどね。

 

(八日市、旧市街の街角)

 

まだまだ暑い令和6年9月16日、朝が明けてしかしところどころ曇りで雨さえパラつく東近江市の中心、八日市の宿を午前8時過ぎに出ました。吉野家で朝食を摂って、八日市駅に向かいます。産業道路から外れて、ちょっと旧市街をさまよいます。駅と名阪高速のインターを結ぶ道路沿いと、狭い道が連なる旧八日市市の旧市街が対称的です。

 

(一番右の電車に乗る)

 

近江鉄道八日市駅から、自転車を折りたたまなくても、追加料金なしで乗れる「サイクルトレイン」で昨日来た五箇荘駅まで載せていきます。祝日なのですんなり行きました。彦根駅と近江八幡への路線以外は自転車をそのまま乗せてそのまま降りることができます。昨日1時間弱かかった八日市へのアプローチも、あっという間に戻ってきます。午前9時半にもとの中山道沿いに復帰しました。

 

 

☆五個荘の街

 

駅のある五個荘(駅名と違う)は八日市と合併して東近江市になった、特徴のある街です。高宮宿や愛知川宿もそうでしたが、そこここに富裕の象徴、蔵が建っているのです。京都に近く、豊かな土地で、商売のしようで富豪が多々出る土壌があったのです。雨は上がって曇りでところどころ青空。陽も時々でサイクリング日和です。

 

 

途中の山裾に湧き水。清水鼻の名水です。飲もうか躊躇していると、近所のおじさんが顔を洗いに出てきました。飲めるかどうか尋ねると飲めるとのこと。ボトルに汲んでみましたが濁っています。飲むのはやめときました。ジモティには慣れた水でなんでもなくても、ヨソ者には腹下しのモトになるからです。

 

 

66、武佐宿

 

新幹線の高架と少々の家が建つ一面の田園地帯、国道8号に沿ったり外れたりしながら自転車を進めます。時には狭い道で長い信号を待たねばならなかったり、突然狭い道をくるクルマに驚いたりとしながら、武佐宿へ。この辺りは宿場の間が長く、愛知川と次の守山までも10km以上あります。

 

(国道8号をそれて旧中山道へ)

 

武佐の問屋場、本陣など古い町並みはあっても静かな通りです。古い警察署庁舎がある以外はほとんど“跡”になっていて、ちょっと古い通りかなという感じ。坂は全くありません。伊庭貞剛屋敷跡で休憩。このヒトも近江商人の末裔。住友財閥中興の祖の広大な邸宅も、今は公園です。

 

(この辺りが武佐宿、本陣)

 

六枚橋のあたりのコンビニで水を仕入れ、旧道に入る道を探索しながら国道8号に沿ったり外れたり走ります。旧馬淵村を経て、日野川を渡ります。当時の渡し口はもうなく、跡や小道は夏草に覆われています。そこは割愛してΩ状に迂回して横関橋コンクリート橋を渡り、鏡の宿を通ります。

 

(かつての渡し口はボウボウで入れず)

 

☆間宿、鏡の宿

 

平治の乱のとき、源義朝が頼朝と共に、東国に逃げる途中で通り抜け、時代が下って奥州へ行く義経が元服し、さらに下って平氏滅亡後、捕えられた平家の総大将宗盛、清宗親子が義経によって斬られた宿場です。源氏に何かと縁があるのです。

 

 

ここもそうですが有名人を処刑して首を洗ったとか、葬ったとかした後は、カエルが鳴かなくなった、血で濁り飲めなくなった、などの伝説はさすが都の隣り、東国への進路でたくさんあるのです。将門伝説(首が飛んで日本全国あちこちに行った)あるいは上皇の愛妾を出家させたというので、親鸞や法然が島流しに遭った、など人間クサイ話です。

 

武佐から守山までは10km以上で長いので、ここが間宿だったのです。緩い坂を登り、池の端を通って丘が点々とする古墳公園(桜生史跡公園)で、冷房の効いた事務室で許可をもらって一休み。

 

(前はクルマがビュンビュン)

 

甲山古墳など有名で、誰が葬られたかはわかりませんが、地域の実力者で、鏡の宿を創った人たちかも知れません。円墳と前方後円墳があり、緑が生い茂った中では土盛りにしか見えず、石室も確認できませんでした。もっとも「スズメバチに注意」の看板とロープが張り巡らされていて近寄れず、あまり長居はできませんでした。

 

(夏の古墳はただの丘)

 

67、守山宿

 

守山宿の手前は今の野洲市。今は電車区があり、むかしは水利を利用した晒布の産地でした。お昼近く。ドラッグストアでバナナと野菜ジュースを仕入れ、次いで野洲川橋のたもとのコンビニでイートインを使ってチキン弁当。車の通らないひなびた街道にはレストランが少ないのです。

 

(野洲川橋。向こうは東海道線)

 

野洲川を渡ると守山の宿。元首相の実家の造り酒屋や、寺なども多くあるのですが、ベッドタウンとはいえ、開発が結構進んでいる印象でした。ただ昔も今も結構富裕な街の印象を受けます。日本の戦後の首相の5人は造り酒屋出身です。

 

(ホタルの川と元首相の実家)

 

前の武佐宿あたりは白い車体の新幹線でしたが、この辺りから東海道線の銀色の車体が並行して走るのが垣間見えるようになります。道をチョット曲がったり、信号で待ったり、平坦な道をあみだくじのように進みます。

 

(この辺が中心街)

 

それにしても昼下がりは暑い!寺の脇、町はずれの無人の公園でアタマを洗います。ピューっと出る水飲み場で水は生ぬるいのですが、水の効果は絶大です。今日は気温34℃!9月じゃないだろ!という感じです。

 

68、草津宿

 

平原を延々行くと、東海道との合流点、草津です。JR草津線と東海道線が合流し、さらに小川もある中山道終盤は2mくらいの小さなトンネルをくぐったり、金網の上を進まねばなりません。神社の森を抜けると草津の市街です。道が狭いせいかクルマ社会ではタワマンなど建てられず、古い家並みが当局の努力もあってよく残っています。

 

(こんなところもかつての幹線街道)

 

天井川の典型、草津川をくぐります。今はもう川は別なところを流れていて、3階建てのエレベーターで街道から「河川敷に登る」コトができます。この元河川敷は琵琶湖の湖岸まで続いていて公園化し、市民の憩いの場になっています。

 

(“廃川”草津川。天井川の名残)

 

天井川をくぐると草津宿のメインストリートです。さすが東海道と中山道の合流点、現在の生活とむかしの面影をうまく融合させています。草津川のほとりだったころは、さぞかし水害に悩まされたでしょうが、暴れ川も今は小高く細長い丘の公園です。有名な草津本陣は工事で来年3月まで休止、街道交流館を見ます。

 

 

展示やグッズの販売のほかに「浮世絵摺り体験」もできます。200円の入場券を買う時に浮世絵は当時の写真集。版木の上に炭を塗って紙を重ね、上からバレンでこすって謄写し、それを赤、緑、青と色とりどりに順番に謄写重ねして作るんですね~。デキはともかく、印刷の理屈が分かって面白かったです。

 

(私の“作品”)

 

交流館を出て、この後どうしよう、ということで喫茶店に入って、アイスを食べながら京都の宿の予約などトライしました。普段アイスなど食べないのですが、暑熱でアタマにキていたのか、いいヤツを頼んでしまいました。

 

マアマアパソコンでやるのと違ってスマホは要領を得ません。電波が悪いのですが、宿に予約したかどうかの電話を入れるハメになりました。そうするうちに時間が経って午後3時半にもなってしまいました。

 

(抹茶ツブあんアイス)

 

草津から走り出したものの、瀬田川の手前、弁天池のほとりで、スマホが暑さでダメになりました。温度が上がると自動でダメになる機能が付いています。小さな出来事ですが、ちょっと勢いが折れ、宿も取れない、ああ計画的にやるんだったと池のほとりで考えました。

 

昨日からの行きあたりばったり旅行の怠惰を悔ゆれども及ばず、また仕事のアヤもあって、南草津駅から東京に帰ることにしました。京都まであと24kmのところでした。

 

(陽射し傾く南草津、弁天池)

 

この辺りは体力でなく気力です。体はアイスに手が出るくらい、多少熱が体にたまる感覚があったくらいで、肉体の異常も倦怠感もありません。2日間炎天下にさらされたというのもあるでしょうが、体力の勢いで突っ走るということができなくなるんですね~環境が整わないと、居場所が保障されないと、里心が付いて早く安心なところに逃げ込みたくなるのです。

 

(地域の見どころがわかるパンフ)

 

あとヘルメット。なぜ暑くてもキャップの上にヘルメットするのかよく分かりました。ヘルメットだけだと風通しはイイのですが、乾かしきれなかった汗が額に溜まって眼に流れてくるんですね~塩混じりゴミ混じりの汗が眼球に入ると、目に沁みてたまらんのです。キャップは汗だまりの役割も果たすのです。今回キャップは持って行きませんでした。夕方になってもむわーんとした夏のたそがれ。視力も限界が来ます。

 

 

街道を外れ、南草津駅までやや戻って自転車を折りたたみます。新快速電車に乗って今来た道をあっという間に戻ります。米原では青春18きっぷ時期が終わったにもかかわらず、名古屋方向に普通電車に乗り換えるヒトの多さに辟易し、空いているこだまに乗り換えて午後8時半に東京に着きました。あとで暑さの後遺症で寝込むようなことがなかったので、ホントに気力の問題のようでした。

 

今回も前回に続いて東海道コンプリートならず。ただ中山道の8宿を征服しました。前と併せて11宿。今年中にもう3宿ぐらい欲しいものです。そして何より東海道コンプリート!堅い信念と健康をもって“上洛”したいものです。

 

<R6.9中山道行き:完>