ついに水ケ峠を越える | 新労社 おりおりの記

ついに水ケ峠を越える

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しまなみ海道は、愛称として有名ですが、国土交通省管轄の国道としては国道317号です。その317号は広島県の尾道から今治、さらに山を越えて松山まで行くのです。その山越えのルートを今回行ってきました。 

 

今は愛媛県第1と第2の都市を結ぶ道路は、以前は高速道路のある東予への最短経路の桜三里と、海岸回りが一般的でした。高縄半島を横断する山道は、険しい山や地質に阻まれ、国道の工事が地形と予算で迷走して余計なものを作ってついに貫通しなかったりと、不通の期間が長かったのです。

 

 

ただ瀬戸内海を横断する本四架橋、尾道―今治ルートの開通で、県都松山まで行く選択を増やす必要があり、平成6年にようやく開通したのです。 これまで桜三里ルートは3度、海岸ルートは2度行きました。ただ水ケ峠ルートは険しい道と、しまなみの後は体力を消耗したりで、なかなか行く機会がなく、開通26年後、ようやく来れたのです。 

 

朝9時に今治のホテルを出て、駅で帰りのJR切符など購入し、また、Go toトラベルの券を使おうと、郊外の店をはしごします。

 

 (今治駅のバリィさん)

 

朝食もたっぷり食し、10時半に走り出します。曇りですが、何とか天気は持つだろうと、希望的観測です。 そのうちけっこう大河に沿って行くことになります。蒼社川は広い河原を持ち、鷺が遊んでいます。ダム湖を経て、上流までいくことになります。

 

 

(今治一の大河、蒼社川)

 

今治の奥座敷、鈍川温泉の入り口までは、それほどな勾配でもないのです。今は今治市のこの辺りは、合併前は玉川町。ダム建設に尽力した政治家の銅像もあり、AKBの宣伝バスの廃車もあります。時代の流れです。 

 

 

ただ温泉入り口と、海岸の北条までの道を分けると、がぜん「人が行くやさしい道」から「車で行く合理的な道」に変わります。急こう配でいいから能率よく、ということで、登坂車線が現れ、胸を突くような急坂が展開します。ここで雨が降り出しました。

 

 

最初は霧雨です。数百メートルごとにメガネの水滴を拭きながら前進します。 まもなく現れるのが玉川ダム。松山大学のボート練習が行われています。発電というより水の少ない瀬戸内海式気候の今治では、飲み水の需要が大きいのです。ここから多少下り坂もあるのですが、山が深くなるとクネクネ道の急こう配。雨が繁くなってきました。

 

  (玉川ダム)

 

荷物にカバーを掛け、一層険しくなった坂を30m行っては、大粒の水玉になったメガネを拭いて、20m登って雨に打たれたまま休む、という感じでトンネル口を目指します。 大河蒼社川も谷川になり、滝がかかっています。

 

 (だんだん谷が狭まる)

 (蒼社川上流)

 

苦闘の末、ようやく現れた水ケ峠トンネル、標高764m、長さ2,804m。四国で5本の指に入る長さの道路トンネルです。脇にある道はこの峠を農道で越えようという努力の跡。結局長大トンネルを掘った方がいいという結論に落ち着いた名残です。

 

 

今治からくると左側は1mくらいの幅の歩道がありますが、松山からくると歩道がほとんどなく、車の往来があると自転車は苦しいでしょう。その代わり今治行きは下り坂ですが、こちらは緩い登り坂です。

 

 

トンネル内で雨宿りし、自転車を点検してライトを点灯させ、15分ほどでトンネルを行きます。 クルマは20台くらいはすれ違ったでしょうか。そんなに多くありません。通気をしているのもありますが、排ガスも少なく、空気もそんなにガス臭くありません。

 

 

すれ違う車はありましたが、自転車は追い越しもすれ違いもありません。こんな雨の日に景観も優れない山道に行くのは私ぐらいのものです。トンネルの真ん中で写真を撮る余裕もありました。 

 

トンネルを出ると、今治市から、松山市の“奥地”。むかしは松山市内のバスの行き先で、米野々とか、川の郷とか聞くと、そう簡単にはいけない秘境っぽい感じがしたものでした。以前は自転車では石手川ダムまでしか行ったことがありません。故郷ながら初めての地です。

 

 (左は川の郷)

 

日浦といわれる地区は段々畑に農村の住居が立ち並ぶ感じ。山道も開発され、車道も2車線あり路肩も歩道も広いものです。小さな集落を転々とし、ちょっと登りもあります。道が狭くなって石手川ダムです。 石手川は今治の蒼社川ではなく、松山を流れる重信川水系です。

 

 

先ほどは川をさかのぼりましたが、水ケ峠の分水嶺を越えて、今度は川の流れとともに帰るのです。トンネルを抜けても雨が繁く、勢いよく下るわけにもいかず、ポンピング・ブレーキでくねくねとした道を下ります。 

 

 (石手川ダム)

 

途中片側交互通行の箇所。車の最後尾で自転車は行くことになります。石手川ダムでは多少雨が弱くなりました。山々の谷には霧がかかり、水蒸気の織り成す光景が独特です。

 

 

しかしここからふもとまでが、登りならきつい道路です。 トンネルも2か所あります。小中学生のころ、旧道で奥道後、湧ケ渕まで遠足に来ましたが、川と崖に挟まれ、それ以上広げられない1.5車線の狭くて険しい曲がり道。それを200mほどのトンネルを掘りぬいて広く円滑に行くようになったのです。 松山平野に入る口のところに実家があります。家に戻ってずぶぬれで、すぐひと風呂浴びました。

 

雨中の峠越えというのは、行程が30kmくらいだから、また3時間ほどで、実家がすぐだったからいいものの、あまりやるものではありませんね。夏でも体温を奪われて、コロナでなくても肺炎などになります。今回は4枚も着て行って、内外からびっしょりですが、凍えずに済みました(完)