レイテ沖海戦 戦艦長門の戦い | 新労社 おりおりの記

レイテ沖海戦 戦艦長門の戦い

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日本の連合艦隊旗艦も務め、太平洋戦争を戦い抜いた「幸運の戦艦」です。史上最大の戦艦「武蔵」、それまでは幸運だった空母「瑞鶴」はじめ34隻ものフネが沈んだレイテ沖海戦でも、その幸運ぶりを発揮しました。武蔵や瑞鶴の最期は多くの書で有名ですが、この幸運艦の昭和19年10月24日、25日の戦いはいかがだったでしょうか。

 

「今度こそは傘なし(味方飛行機の護衛なし)だぞ」

「生きて帰れないぞ」

 

と噂する「決戦」に臨んだ将兵たちはしかし、ここを先途と主砲・副砲・高角砲・機銃を撃ちまくりました。艦長は三日三晩艦橋から降りず、指揮を取りました。13次にわたる空襲と、レイテに向けて進んでは引き返し、また進んでアメリカ空母群と遭遇し、進んで引き返しという航海術の繰り返しでした。

 

昭和19年10月22日:出撃 実はその前に「栗田艦隊」(戦艦5、重巡10、軽巡2、駆逐艦15)ではなく、「西村艦隊」(戦艦2、重巡1、駆逐艦4)に所属するという案もあった。西村艦隊はその後、駆逐艦1隻残して全滅。

 

10月23日:長門の前を行く、旗艦愛宕爆沈。潜水艦の魚雷による。

 

10月24日:艦隊はフィリピンの“内部”シブヤン海に差し掛かる。

 

1次空襲:午前10時半、44機来襲。取り舵で雷撃、爆撃を回避。戦艦武蔵被雷、重巡妙高落伍。

 

2次空襲:正午、33機。14分間の攻撃。16機の攻撃は武蔵に集中。

 

3次空襲:午後1時、83機。魚雷9本を受け戦艦武蔵落伍。軽巡矢矧至近弾で浸水

 

4次空襲:午後2時、65機の来襲。大和と長門に攻撃集中。戦艦大和被雷。31分間の攻撃。長門は至近弾3発の後、中部に直撃弾2発命中。52名戦死。重軽傷106名。3軸運転となり、速力21ノットに低下。

 

(4次空襲下の長門)

 

5次空襲:午後3時30機来襲。長門には2発至近弾。利根に直撃弾。駆逐艦3隻に至近弾。武蔵は魚雷2本追加で受け大傾斜。ここでいったん空襲は止む。いったん西に進路を変え、また東へ。再び敵に向かう。その夜武蔵沈没。小沢、西村、志摩艦隊の戦いは深夜まで。

 

10月25日:対空用の輪形陣から、縦陣列でサンベルナルディノ海峡を抜ける。早暁、飛行機群、次いで空母群を発見。水上砲戦に移る。長門の8門の40㎝主砲はじめ、一斉に火ぶたを切る。20分足らずで終わる。長門は記録では副砲弾が当たったくらいで、敵空母1隻、駆逐艦3隻撃沈。空母数隻損傷。味方は空襲や雷撃で重巡筑摩、鳥海沈没。重巡熊野大破。その後集合し再びレイテ湾突入を目指す。

 

6次空襲:遁走中の空母群から空爆。長門は4発の至近弾。重巡鈴谷沈没。

 

7次空襲:命中したと思った魚雷が艦底を通り抜ける幸運。

 

8次空襲:15発の至近弾。1発直撃したが貫通し小さな被害で済む。重巡利根が直撃弾1発。レイテは目前だったがこの後、敵機動部隊発見の報に艦隊は北転。

 

9次空襲:重巡利根、戦艦榛名などが被害。戦艦金剛は重油流出。長門は至近弾2発を受けるも無事。

 

10次空襲:大和などが狙われるが被害なし。敵機動部隊との決戦をあきらめ帰途に就く。

 

11次空襲:日本の大編隊(60機ほど)が通り過ぎるのを見る。その直後日本機が米軍機に交じって誤爆。軽巡矢矧火災、駆逐艦早霜被弾。相次ぐ転舵で、後甲板の機銃員が流される。長門は4発の至近弾。

 

10月26日:サンベルナルディノ海峡を西に通過。再びフィリピン群島の中に入る。

 

12次空襲:長門の見張り員が最初に敵機を見つける。左舷艦首と右舷艦尾に2発ずつの至近弾。軽巡能代が集中攻撃。落伍。

 

13次空襲:能代沈没。最後の空襲。コロン湾に帰投は危険と判断し、ブルネイ(ボルネオ)で補給することにする。

 

10月27日~10月28日夜

 

栗田艦隊、ブルネイに帰投。補給。

 

この後、台湾沖を経由して日本へ。戦艦金剛が潜水艦に撃沈されたりした中、長門は無事日本に到着。さらに横須賀に回航して、本土決戦に備え待機中、終戦を迎えるのです。

 

長門が戦後、ビキニ環礁の原爆実験に供されて、それでもなかなか沈まなかった様子を聞いて、ある軍人の妻は「英霊が艦底の下から後押ししているのですよ」と、言ったそうです。運というのは人間やその工作物に与えられた最大の財産かと思いますが、こればかりは生まれついてか、後の訓練で付けようとしても、そうはいかないところが面白いのです。