寅さんと“自由人”の系譜 | 新労社 おりおりの記

寅さんと“自由人”の系譜

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(種田山頭火)

 

寅さん、復活してちょっとしたブームですね。寅さんこと渥美清さんが亡くなって20余年経ちますが、寅さんの失恋のこっけいさ、温かい日本的な家庭の雰囲気もさることながら、この寅さんの“自由人”っぷりがヒトのココロを離さないのです。社会人ならだれでもあこがれるこの境地は、あらゆる時代で時々、ブームを巻き起こします。

 

社会的に“無頼漢”で、フイと現れたかと思うと放浪し、ヒトに強烈な印象を残す“自由人”は日本に幾人もいたのです。高度成長期に不意に現れたのではなく、1000年も前からいました。

 

西行

平安時代の歌集にその名を遺す歌人。ただあちこちに転居し、旅をして点々とする「元祖放浪者」。飾り気がなく、僧侶でしたが、学識、花鳥風月に反する汚いもの、煩悩にこだわりがなく、生きざま自体が当時の歌人や構成のヒトに影響を与えました。70を超える長生きで、700年後の革命家、高杉晋作はみずから「東行」と号したほど、自由なあこがれの男でした。

 

 

井上井月

こちらは江戸時代の俳人。武士か町人か分かりませんが、確かなことは人情豊かな伊那谷を、酒と共に放浪し渡り歩く俳句の先生だったようです。キタナイ恰好をして乞食をして歩き、しかしそんな彼を師匠と崇めるヒトもいたのが不思議です。俳句ばかりでなく墨蹟も、死後に芥川龍之介などに激賞されました。

 

種田山頭火

裕福な出で、しかし恐ろしく人生の自由度が多く、いい友人、いい仕事、いい家庭に恵まれながらもそれらをすべて邪険にして、自由を求め、峻烈なエピグラムを生み出した俳人です。戦前に生涯を終えましたが、その生きざまは何度かブームになり、高度経済成長下の組織人に大きな影響を与えました。

 

林芙美子

こちらも頭のいいお嬢様だったものが、学校を出て東京に「出奔」し、その生活の中で文才を発揮しました。流行作家になってからも外国にちょくちょく出かけたり、戦争に傾く世相の中でも奔放に、自由な行動で世間に印象付けられました。

 

 (林芙美子)

 

山下清

軽い障害があり、そのおかげでちぎり紙細工で絵を描く才能が開花しました。戦前から戦後まで放浪し、各地の景色や風物をちぎり絵に残しました。ただ旅先では描かず、超人的な記憶力で持って、東京で創作し、多くの傑作を残しました。

 

これらの“自由人”は、まあお友達になりたくない“所業”のヒトが多いですねえ。借りたお金を返さなかったりとか、坊さんのくせに色ごとしたりとか、酒ばかり飲んでクセも悪いとか。しかしなぜ彼らが歴史に名を残したのか、しかも同時代のヒトも含め、多くの人に肯定的に迎え入れられるのかというと、文学素養もさることながら、人間の社会の基本的な行動体系にあるかと思います。それは・・・

 

人間社会では、ヒトとくっつきたくもあるし、離れていたくもある。

 

ということです。矛盾ですが現実です。ヒトと付き合えば1人になりたいし、1人になればだれかと話したくなる。しかしそこは“社会”ですから、くっついた離れたが希望通りに行かないこともある、それで怒ったり慌てたり、という愚を繰り返すのが人間である、ということに気づかないヒトは、老若男女貴賤を問わず多いのです。不器用な生きざまを、自分のことは棚に上げてついつい軽蔑したり笑ったりしてしまうのです。

 

そこで良くも悪くも、そういう人間的な不器用さをロコツに実践しているヒトを見ると、悪意を抱くこともありますが、ついつい“あこがれて”しまい、気になったり、助けたくなったりするのです。

 

その辺は、ちょっと複雑な人間の弱点です。しかし人間強いだけでは、生きていけないのです。だから弱点だらけの人を見て安心もしますが、また共感もするというところがヒトの面白さだと思います。