なつかしの新潟交通電車線“軌道区間” | 新労社 おりおりの記

なつかしの新潟交通電車線“軌道区間”

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新潟交通電車線

 

むかしむかし、平成に入ったばかりの30年前、新潟に住んでいました。市役所の新庁舎が出来上がって、その前の道を、市内電車には似つかわしくないような、古くて大きい電車がけっこう速いスピードで往来していたのを思い出します。今はない新潟市の「市内電車」。新潟市の中心部、白山前駅⇒東関屋のたった2.6kmの画像ですが、お楽しみください。

 

 

白山前駅。立派な建物です。昭和戦前の開業当時の駅名は「県庁前」。私が新潟に来る前年の1986年に県庁が移転し「白山前」と改称しました。新潟の中心地の玄関口にふさわしい重厚な建物です。3方を道路で囲まれた島のようなところに、レトロな建物。今なら文化財になったかもしれませんが、交通の邪魔という利便性が優先し、1992年廃止の年、取り壊されました。

 

さらに新潟の繁華街を通り、万代橋を渡って、当時の国鉄新潟駅まで路線を伸ばす予定だったのですが、それはついにならずでした。当時新潟一の大橋、万代橋も幅を広げて電車を通すようにできていたにもかかわらずです。繁華街を通す資金難とも、国鉄の旧線の買収が折り合わなかったともいわれますが、財政が厳しかったのです。白山前駅はレールは1本、あとから来た電車が先に折り返し発車していくダイヤでした。

 

 

もと、県庁だった敷地に市役所が建ったのは廃止2年前のこと。きらびやかな新築の庁舎に、古い電車が行く様子は、何とも新鮮な感じでした。この辺りは最高速度40km/h。郊外に出ると60km/h出していましたので、慎重に走っているように見えました。

 

 

レトロな電車が乗用車とともに通りを走る風景。この辺りは小工場や学校が多く、戦時中は通勤・通学客のために市内電車のように停留所が設けられた時期もありました。ただ戦後のモータリゼーションで駅どころか電車自体邪魔にされて、停留所は戦中に、道路を走る白山前―東関屋間は一足早く部分廃止になりました。

 

 

その後、都市交通の考えが変わり、やたらと市中心部に大量のバスが押し掛けるのは都心が過密、郊外減便の悪循環でナンセンス、ということで、電車の廃止から20年以上あと、平成27年、萬代橋ラインというBRT(バス高速輸送システム)ができ、鉄道のような能率的な都心への大量輸送をバス路線で実現しました。

 

予算不足でできなかった電車線の延長構想がバスで実現したのは、面白いところです。電車の駅もあった新潟郊外の青山を東京の新宿のように郊外線の“窓口”にして、新潟都心に行くバスを制限したのです。

 

 

上画像は「路面電車」から「郊外電車」に移り変わるところです。電車も会社も同じですが、走るところが違うと監督官庁が違うのです。電車は淡々と通過していきます。ここから新潟の市街地から郊外に移ります。

 

 

電車線の基地、東関屋駅。私の学生寮はJR越後線の関屋駅もよりで、徒歩10分くらいでしたが、連絡は何ら考慮されず、純然たるライバル状態のようでした。白い電車は小田急の古い電車。小田急の白色のままで、1両では走れないので通勤時間帯専用だったようです。

 

 

 

 

現在では都会への玄関口、東関屋駅の役割をショッピングセンターの広大な敷地を生かした青山停留所が担っています。地域のバスを統合した市街地行きのバスは連接方式の「2両編成」。電車のようです。

 

 

ここは古びた大きな駅舎と共に、整備の基地でしたから、休んでいる車体も見ることができました。荷物用の電車や冬季用のラッセル車など。現在でも古びた施設で一生懸命整備して電車を走らせている地方鉄道もありますが、まだのどかな時代で、当時見学でも申し込んでおけばと後悔しています。

 

(越後大野駅)

 

全線廃止から20年以上、白山前―東関屋廃止から28年ほど経ち、模型で往時をしのぶばかりです。現在は新潟交通の電車線の跡地は、サイクリングロードになっているようです。しかし新潟郊外から中心部に集まるヒトの交通集約、という電車の存在意義がBRTとして実現しているのは、新潟交通電車線、持って瞑すべしでしょう。

 

 (燕駅)

 

電車線は新潟市内を出れば、信濃川の織りなす田園地帯を行きます。旧白根市や燕市などのそれなりの規模のある街があっても、モータリゼーションの波には抗しがたく、平成4年に東関屋―白山前、5年に燕―月潟、残りの東関屋―月潟は平成11年に廃止になりました。現在は、バスが交通手段を受け継ぎ、旧月潟駅の記念館と、模型で往時をしのぶばかりです。