毎日、会社へ行き、帰宅したら食事、お風呂、そして依頼されたイラストを夜中に描いていた。

その繰り返しだから当然、睡眠不足になる。会社は面白くない。早く辞めたいと思うようになり、僕の断酒を喜ぶ妻にイライラし始めた。

彼女が何かした訳ではない。「あの人が飲んでいない」のに幸福を感じている事に腹が立った。なぜなら僕は幸福ではなかったからだ。

そんな、ある日こんな考えが頭をよぎった。夜中にイラストを描いていて一休みした時だった。

 

「これから一生、誰にも、ばれないように酒を飲めばいいのではないか?

「一日ワンカップ2本と絶対に、絶対に決めて飲めばいいのではないか?」

その想念が頭に張り付いた。

 

「アルコホーリクス・アノニマス」P62の2行目にある時アルコール依存症には「不思議な心の空白」が起こり、その空白に想念が入り込むという。

妻は僕が酒を止めているので、安心して寝ている。

僕は迷いながらも、すでに体は動き始め、金を握りしめサンダルを抱えて、マンションの廊下を裸足でエレベータに向かって走った。

 

2本のワンカップ。

2か月ぶりの日本酒はスポンジが水を吸うように体の隅々にまで染み渡り、恍惚感が頭を支配した。「これだ…これが欲しかった」そう感じた。

次の日から僕は「一生、誰にもばれないで飲酒する」という決意の自分がいた。

 

すでに2か月断酒していた僕は、そこにいなかった。

若さもあったろうし、飲酒量の少なさもあったと思うが、この「狂った計画」は、しばらくはうまくいった。

しかし、アルコール依存症の末期症状が出ていた僕が「節酒」など無理だった。

ほどなくして破綻した。

 

10月中旬に入院していた祖父母が立て続けに亡くなった。

葬儀は二人一緒に執り行うことになり、会社に連絡して慶弔休暇を申請した。この時期、2か月断酒し、一日も遅刻・欠勤なく、出勤いたので会社も上司も問題なく、休めた。

 

しかし待っていたのは葬儀の準備だ。父も母も元気だったが分担しないといけない事が多く、忙殺された。実家に泊まり込み手伝った。

通夜の日は弟と二人で会場の公民館に泊まり込み線香が消えないように見てくれと頼まれ、二人でそこにいた。

夜が更けて通夜の客が帰った後、キッチンに行くと何本もの日本酒の瓶が並んでおり、一本は中が残っていた。弟は酒が強いので、一人飲んでいた。僕は、彼に見つからないように立て続けに飲んだ。

 

翌日、葬儀の間、弔問に来てくれた人たちがいる間、僕は酒を飲まなかった。これはパフォーマンスとして飲まなかっただけだ。心の底では、ものすごい渇望が起きていた。

 

全てが終わり、妻と二人、車で家に帰った時の彼女の一言は今でもも忘れられない。

 

「お互い大変だったね。よくお酒我慢したね。今日は飲んでいいよ」

 

天使が舞い降りたように小躍りした。

僕はコンビニで、ワインを買ってきた。

 

そのワインはチーズや生ハムを楽しむようなものでは、なかった。まるで流し込むように1時間もしないうちに、すべて僕の体に入った。それを見た妻は、あきれ顔であきらめた。

「そんなに飲みたいなら飲めばいい。でもお金は置いて行かないし、何の手助けもしない。私はあなたと別れる」と言った。

 

その瞬間、僕の中でダムは決壊した。強烈に暴れまわる自我、自己中心的なアルコール依存症特有の渇望が酒を欲した。

その日から、僕は酒屋と家を往復するだけになった。

会社には毎日、「休みます」と連絡をいれていたら「もう来なくていい!クビだ!」と言われ、その怒りも飲酒欲求に拍車をかけた。数日したら夜か昼か、今、何日なのかさえ分からなくなった。もう、どうでもよかった。

すでに体は酒を拒絶していた。しかし同時に渇望していた。

彼女は仕事から帰ると自分だけ食べた、入浴して寝ていた。

「一応、病院探したから連れて行くね。そしたら別れて。」そう言っていた。

 

心は完全に壊れ果て、途中何度も止めようと思った。しかしそんなものは30分もすれば崩れ果て、また酒を買いに行く。

泣きながら飲んでいた。「お願いです。誰か止めてください」と。

 

この期間、二度吐いたものを喉に詰まらせ二度、窒息しかけた。

この期間、一度、妻と口論になり、殺そうと思い、包丁を手にした。

この期間、二度、土下座して救急病院に連れて行って貰い点滴を受けた。医者は血液検査をして、その数値と僕の言う事を信じなかった。「人間は、そんなに飲めない。生きている方がおかしい」と言った。

もうすでに、生きていること自体が不思議だった。

 

この時の経験で最も恐かったのは、お金を数えられない状態の自分を自覚した事だった。

家には、すでに10円玉しかなく、それを数えているときだった。6枚まで数えたら手が止まった。

次がいくつか分からないのだ。70円という言葉が頭から出てこないのだ。

後でわかった事だが、この時、すでに極度の栄養失調で体の蓄積された脂肪を分解して脳に送り、脳は萎縮を始めていたらしい。かなり脳にも影響が出ていた(今は数えられます)。

このまま、狂っていくのかと果てしない闇に恐怖を感じた。

 

それでも、僕は酒を買いにいったのだ。

 

この時には、すでにアルコール依存症の末期症状が出ていた。酒が切れると手足が震えた。かかとをつけて歩けなかった。幻覚はなかったが絶えず幻聴が聞こえた。

 

もう、自分で立って歩くことができなかった。

その翌日、母が実家から来ており、妻と二人に抱えられてタクシーに乗って病院に連れて行かれた。何の病院か知らないが「楽になるなら、それでいい」とだけ思っていた。

 

この17日の間に僕が失ったモノで一番大きいのは「人間性」だと思う。

アルコール依存症という病気は竜巻のように荒れ狂い、さまざまなモノを壊した。

仕事を失った。社長、専務を始めとする上司・同僚・部下からの信頼を完全になくした。

これはプロとしてのキャリア崩壊を意味する。

妻との結婚生活。信頼すべて

両方の両親からの信頼。

友人すべて…独りだった。

 

酒が奪ったのではない。すべて自分がした事だった。

病院を出た時、僕は自分が精神病院に来たことを看板で知った。

そしてアルコール依存症の集まりがあるのを知った。

 

病院から帰ると少し体が楽になっていた。点滴と点滴に入れられた離脱防止の安定剤が大きかったと思う。

妻と母は食事に行くと言って出掛けた。

ふと箪笥の上を見るとお金が置いてあった。

「酒が買える」最初にそう思った。実行はしなかったし、できなかった。そんな風に思う自分が嫌で仕方なかった。

僕は、次の日からどうやって生きて行けばいいのかさえ分からなくなっていた。

 

これが僕の飲酒末期だ。

もう、飲むことも飲まないことも選べなかった。脳に影響が出ていた。まともな考えなどできなかった。

 

アルコール依存症は恐ろしい病気だ。これだけは確信して言える。もし、あのままでいたら僕は死んでいただろう。

 

今、もし、あり得ないがスリップすれば、この続きに戻る。おそらく死ぬ。