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 四月十一日の朝、白馬村には雪が降っています。
 今年はほんとうに雪の少ないシーズンなので、少しの雪でも有り難く感じます。

 あとどのくらい、スキーのレッスンはできるのでしょうか?
 これから、綱渡りに近いシーズン最後を迎えることになります。
 今週末は大丈夫かな?
 でも、来週末は?

 白馬五竜にみなさまに、より雪の多い場所にコブコースを設置することを要望しています。
 これが許可されたら、一週間か二週間は伸びてくれそうな・・・・・・。

 そんなことを考えているなか、水泳の全日本選手権兼オリンピック選考会が開催されています。北島選手の引退会見もあり、少し競技とマスターズスポーツについて書いてみます。

Hakuba


 マスターズで活躍されているスイマーやスキーヤーには、もちろん過去に素晴らしい実績を残されている方もいらっしゃいます。しかし、年齢層が高いところで活躍されていらっしゃるみなさんのなかには、過去オリンピックや世界選手権で活躍された方は比較的少ないように感じます。

 ふつう考えたなら、上位はみんな元オリンピック選手やナショナルチームメンバーと思われがちですが、そうではありません。特に八十歳を超えて活躍されていらっしゃるみなさまには、四十歳をすぎてから水泳やスキーを始めたという方が多くいらっしゃいます。

 常識的に考えると不思議ですね。

 でも、少し考えてみれば、これはあたりまえのことなのかもしれません。

 なぜなら、本格的競技者はなかなか長生きできない世界なのですから。

 少し詳しく書きます。この現実は、近代スポーツでトップレベルにいるためには、健康を損なったり、どこかを痛めたりするということでもあります。

 たとえば、ハードインパクトスポーツのなかでも負荷の高いフリースタイルスキーについて云えば、日本を代表する選手でヒザの手術をしたことのないスキーヤーはごくごくわずかです。
 加えて腰痛を経験したことのない選手などいません。

 水泳でも、腰痛や肩の痛みを経験したことのない選手や、ヒザの痛みを経験したことのないブレスト選手にはまず会ったことがありません。

 世界のトップにくらべて体格の小さな選手の多い日本では、健康に良いとされる水泳でさえ、なかなか健康でいることは難しいと考えられます。

 友人の日本を代表するスイマーに、こんな名言があります。
「水泳は体に良いけれど、競泳は体に悪い」

 トップ選手として長い間やってきた人は、古傷や故障を経験している方がふつうです。
 だから、故障が響く年齢になると、なかなか成績を出せないのかもしれません。
 また精神的に意欲を持続させることも難しいでしょう。

 マスターズ水泳の更衣室で、元オリンピック選手がこんなことを口にしていました。
「望む記録を出すための方法はわかっているのだけれど、それをやるための気力を維持するのが難しい」

 わたしの家内は若い頃、真剣にソフトボールと野球をやっていました。全国大会でトップクラスの成績も残しています。
 そんな彼女は 「もうソフトボールと野球には燃え尽きた」 とよく口にします。
 そして腰痛と背中痛に今も悩まされています。

 わたしは右ヒザを三回手術しています。
 後遺症も残っていますし、しっかり伸びもせず、曲がりもしません。
 ただ、若い頃に痛めてから、ずっとずっとリハビリを続けてきているので、ここまでやってこられたという考え方もできます。

 ケアをすれば、今でもスキーや水泳はとても楽しいし、素晴らしいスポーツだと感じられます。

 世界記録を何十回も書き換えてきた尊敬する世界チャンピオンの松本弘さんから、いつだったかこんな声を掛けていただいたことがあります。
「角皆さん、その調子でわたしの年まで頑張れば、いくらでも記録を書き換えられるよ」
 松本さんは二十歳近くわたしの年上です。

 とても嬉しい言葉でしたが、その時、こうした心配が頭をよぎりました。
『ヒザはそれまで持つだろうか?』
『腰はそれまで持つだろうか?』

 でも振り返ってみれば、六十を超えるまでスキー教師を続けられるなど、まったく思っていませんでした。ここまでヒザが持つなど、二十代には夢にも想像できませんでした。

 そんな状態でここまで来たのだから、行けるところまで行ってみます。

 今年は雪不足とさまざまなことがあり、まだ四日しか泳いでいません。
 でもスキーも水泳も、できることをゆっくりと積み重ねていくつもりです。

 あれはマラソンの君原さんだったでしょうか?
 こんな言葉を聴いた記憶があります。

 走っていて辛くなったら、『あと一キロだけ走ろう』 と思って走ってきた。
 もう我慢できないほど辛くなったら、『次の電柱まで走ろう』 と思った。
 もう駄目だと思ったら『あと一歩だけ』 と思って走ってきた。

 こうして走ることで、彼は練習も試合も常に完走してきたのです。

 わたしもできることをできる時に積み重ねて行ってみます。