少雪・暖冬の年 |  エフ-スタイルでスポーツの喜びを!

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 今年は 「少雪・暖冬の年」 と云われるようになりました。
 シーズンインする前なら、いろいろな意見が聴かれたのですが、近頃になると 「エルニーニョ現象と地球温暖化による少雪・暖冬」 という意見が圧倒的になっています。

 わたしは25才くらいから生活の中心をスキーに置いてきました。
 ですから、もう35年になります。
 その間、ずいぶん少雪・暖冬、そして豪雪・厳寒の年に出逢ってきました。

 スキーを始めたばかりで選手として練習したい盛り、1月終わりまで雪のなかった年もありました。あれは1979年シーズンだったでしょうか。

 宮城県の鬼首スキー場にいましたが、あまりの少雪にスキースクールがいったん解散してしまったのです。
 交通費を節約するため、わたしは一人でスクール宿舎に残り、牧草地の広がるスロープで陸上トレーニングを続けました。
 鬼首にしっかり雪が降ったのは1月26日だったように記憶しています。

 リステルスキーファンタジアのオープン年も、酷い雪不足でした。
 1986-87年シーズンでしたが、まったく雪がなく、オープンイベントに合わせて急きょプールを掘り、水を張り、エアショーをおこなったのです。
 
 スキーファンタジアはオープン後、7年間に渡って歴史的な少雪に襲われ続けました。
 毎年、毎年雪不足に襲われ、スキー場経営は追い込まれました。
 振り返ると、オリンピックや世界選手権、ワールドカップというスキー連盟の大イベントの年になると、必ず少雪・暖冬のように感じます。今年もワールドカップイヤーですし。
 長野オリンピックの年も、歴史的少雪でした。
 大きな声では言えませんが、どれほど日頃の行いが・・・・・・。

 皮肉なことに、こうした少雪の続いた1980年から90年代にスキーはブーム化し、スポーツ人口が増え続けたのです。

 少雪と反対に、異常な大雪の記憶もあります。
 あれは1984年だったでしょうか。当時常駐していた群馬県水上の宝台樹スキー場付近が、大雪のため孤立してしまったのです。
 雪でつぶれる家も出たため、集落の屋根の雪下ろしを手伝う日々が続きました。

 また白馬に住むようになってからなら2005年と昨シーズンの二回、異常な大雪を経験しました。
 どちらの場合も、雪の重さでつぶれてしまった家を何軒も観ることになりました。

 特に写真の2005年は強く記憶に残っています。
 前年負った手首の大怪我のため、除雪機やスコップが使えず、当時五竜校の主任だった菅原君(現夏油スキー場総支配人)やインストラクターたちの助けで、ようやく生活できるところまで除雪できたのです。
 彼らがいなければ、わたしの家も雪につぶれていたに違いありません。

2005


 そして今シーズン。
 明日から強い寒波の予報です。

 近頃の気象は、なかなか過去のデータから類推することが困難です。
 冬だけでなくどの季節も、雨や風が凶暴になっています。
 雪も短期間に信じられないほど降ったり、降らなかったりもあり得るでしょう。

 今シーズンが、わたしたちスキーヤーにとって少しでも良き年になりますように・・・・・・。
 クリスマスの日に、心から祈っています。