まだ見ぬ黄金の「鳥のから揚げ」を求めて
私が鳥のから揚げについてブログを書くのはこれまでに数回ある。
同じような事を何度も何度も書いているようにも思えるが、何度も書くにはきっとそれなりの理由があるのだ。
今回は「鳥のから揚げと私」といった所か
ある日の記憶に残る出会いについて少し書いてみようと思う。
幼い頃から食べていたが、正直家ではあまり食べた記憶がない。
どこぞのお店で注文をして食べていた方が記憶として残っている。
しかしどうだろう、幼い頃から鳥のから揚げの事を好きだったのか?と聞かれると
そうでもないような気にさせられる。むしろ率先して注文していた物ではない。
今考えてみると、そのころ食べていた鳥のから揚げという物は「美味しくなかった」のではないかと思う。
それまでの人生の中で鳥のから揚げに対して、特に大きな思いとか、感情などはなかったのだろう。
なのにどうして、今となっては自分のブログにこれほど登場してしまうのか?
私は鳥のから揚げを作り続けるのか?
そう言った事を掘り下げて行くと、一つの記憶にたどり着くのだ。
それが「鳥のから揚げ」との出会いだった。
その記憶は意外と新しく、私が22歳ころの時に行った一件の居酒屋で
その居酒屋は主に魚介系を押しているお店だった。
店内は手狭なカウンター席と正面にはぎゅうぎゅうに座るテーブル席がいくつかある。
住宅街にポツンと灯りがともるような場所であるにもかかわらず店内は常に満席だった。
みんなのお目当ては新鮮な魚介を使ったお刺身だ。
ススキノで食べれば高額なお刺身が超リーズナブルな価格で提供されている事を理由に様々な客層が来ていた。
私が一番最初に訪れたのも「美味しいお刺身が食べられるから」という誘いを受けていったものだったが、それ以上に私が驚いた事があった。
それは「十四代」という日本酒が呑める事だった。
当時はまだプレミアム焼酎や日本酒が注目されていない頃でどこの居酒屋にいってもこういった「幻のお酒」みたいなものは置いている所が少ない。
そんな時代に若干22歳の私はこの「十四代」を呑めるお店を探し続けていた。
一度このお店に出会う前にススキノのお店で見つけた事があったのだが、お店側から断られてしまい残念な思いをした記憶を語る。
「どうぞ、どうぞ」と勧められて私はご機嫌がいい。
そこでそのお供にというか何の気もなしに頼んだのが「鳥のから揚げ」との出会いだった。
もぐっと口にした瞬間、口当たりの柔らかさ。食感に驚いた。
ニンニクが利いていて味付けも絶妙に好みに合い。
私はつい食べているから揚げを見つめてしまう。
私が見つめたからではない。
そのから揚げの中身は少しピンクがかっていて、そこから肉汁が溢れていた。
「凄い!」と口にした言葉は自然とでた私のため息のようなもので、今食べている鳥のから揚げに対する最高の賞賛ともいえるのだろう。
私はこれまでにして最高の鳥のから揚げを食した日となった。
その後は人にこのお店を紹介する時には必ず刺身の他にこの鳥のから揚げを勧めていた。
それから数年が経ち
私はこのお店で働く事になる。
このお店のマスターは私を大きく迎えてくれて
惜しげもなく私にお店のレシピを教えてくれた。
「何が知りたい?何でも聞けよ。」
「それでは、鳥のから揚げのレシピを教えて下さい。」
これが、私が作る鳥のから揚げの原点とも言える出会いだった。
それからは何度も何度も試作を繰り返し、教えてもらったレシピに私なりのアレンジを加えて今の作るレシピに繋がる。
それがピンチョスでは大人気となり、から揚げファンが増えたのだ。
それから数年
現在私は迷走している。
自分が作る鳥のから揚げに満足出来ていない。
言うなればピンチョスの時の方が美味しく思えた。いや、その前のから揚げと出会った時に食べた方が美味しく思えた。
こう思う原因は未だにつかめていないのだが
よくよく考えて行くとこの文章の最初に書いた
「はたして私は鳥のから揚げが本当に好きなのか?」
という所にまで戻ってしまった。
こうした気持ちと葛藤しながらでも
それでも今現在、月に何度かは鳥のから揚げを作り続ける。
私は今、まだ見ぬ黄金の鳥のから揚げを求めて
揚げては食べて、揚げては食べて、揚げては食べて太り続けていくのだ!
ぶー。
2013年10月に書いたブログから
鳥のから揚げレシピより
同じような事を何度も何度も書いているようにも思えるが、何度も書くにはきっとそれなりの理由があるのだ。
今回は「鳥のから揚げと私」といった所か
ある日の記憶に残る出会いについて少し書いてみようと思う。
幼い頃から食べていたが、正直家ではあまり食べた記憶がない。
どこぞのお店で注文をして食べていた方が記憶として残っている。
しかしどうだろう、幼い頃から鳥のから揚げの事を好きだったのか?と聞かれると
そうでもないような気にさせられる。むしろ率先して注文していた物ではない。
今考えてみると、そのころ食べていた鳥のから揚げという物は「美味しくなかった」のではないかと思う。
それまでの人生の中で鳥のから揚げに対して、特に大きな思いとか、感情などはなかったのだろう。
なのにどうして、今となっては自分のブログにこれほど登場してしまうのか?
私は鳥のから揚げを作り続けるのか?
そう言った事を掘り下げて行くと、一つの記憶にたどり着くのだ。
それが「鳥のから揚げ」との出会いだった。
その記憶は意外と新しく、私が22歳ころの時に行った一件の居酒屋で
その居酒屋は主に魚介系を押しているお店だった。
店内は手狭なカウンター席と正面にはぎゅうぎゅうに座るテーブル席がいくつかある。
住宅街にポツンと灯りがともるような場所であるにもかかわらず店内は常に満席だった。
みんなのお目当ては新鮮な魚介を使ったお刺身だ。
ススキノで食べれば高額なお刺身が超リーズナブルな価格で提供されている事を理由に様々な客層が来ていた。
私が一番最初に訪れたのも「美味しいお刺身が食べられるから」という誘いを受けていったものだったが、それ以上に私が驚いた事があった。
それは「十四代」という日本酒が呑める事だった。
当時はまだプレミアム焼酎や日本酒が注目されていない頃でどこの居酒屋にいってもこういった「幻のお酒」みたいなものは置いている所が少ない。
そんな時代に若干22歳の私はこの「十四代」を呑めるお店を探し続けていた。
一度このお店に出会う前にススキノのお店で見つけた事があったのだが、お店側から断られてしまい残念な思いをした記憶を語る。
「どうぞ、どうぞ」と勧められて私はご機嫌がいい。
そこでそのお供にというか何の気もなしに頼んだのが「鳥のから揚げ」との出会いだった。
もぐっと口にした瞬間、口当たりの柔らかさ。食感に驚いた。
ニンニクが利いていて味付けも絶妙に好みに合い。
私はつい食べているから揚げを見つめてしまう。
私が見つめたからではない。
そのから揚げの中身は少しピンクがかっていて、そこから肉汁が溢れていた。
「凄い!」と口にした言葉は自然とでた私のため息のようなもので、今食べている鳥のから揚げに対する最高の賞賛ともいえるのだろう。
私はこれまでにして最高の鳥のから揚げを食した日となった。
その後は人にこのお店を紹介する時には必ず刺身の他にこの鳥のから揚げを勧めていた。
それから数年が経ち
私はこのお店で働く事になる。
このお店のマスターは私を大きく迎えてくれて
惜しげもなく私にお店のレシピを教えてくれた。
「何が知りたい?何でも聞けよ。」
「それでは、鳥のから揚げのレシピを教えて下さい。」
これが、私が作る鳥のから揚げの原点とも言える出会いだった。
それからは何度も何度も試作を繰り返し、教えてもらったレシピに私なりのアレンジを加えて今の作るレシピに繋がる。
それがピンチョスでは大人気となり、から揚げファンが増えたのだ。
それから数年
現在私は迷走している。
自分が作る鳥のから揚げに満足出来ていない。
言うなればピンチョスの時の方が美味しく思えた。いや、その前のから揚げと出会った時に食べた方が美味しく思えた。
こう思う原因は未だにつかめていないのだが
よくよく考えて行くとこの文章の最初に書いた
「はたして私は鳥のから揚げが本当に好きなのか?」
という所にまで戻ってしまった。
こうした気持ちと葛藤しながらでも
それでも今現在、月に何度かは鳥のから揚げを作り続ける。
私は今、まだ見ぬ黄金の鳥のから揚げを求めて
揚げては食べて、揚げては食べて、揚げては食べて太り続けていくのだ!
ぶー。
2013年10月に書いたブログから
鳥のから揚げレシピより