「おふくろたちの労働運動」全日自労建設一般労働組合編

 

「いっそ、由子を殺して死んじゃおう。死ねばこんな苦労をしなくてもよい。そんなことを私しゃ何度考えたか知れやしない」そう言ってお藤さんは、節くれ立った五本の指で目頭をおさえ水っぱなをすすりあげた。

戦死した夫が残した二人の子供のうち八つになる長男を栄養失調で死なし、どうにもやりくりがつかなくなり、職安の日雇になる腹をきめた。

けれど、思ったことは六つになる由子の処置だった。千円もかかる幼稚園にはとても入れられないし預かってくれる知人もなかった。さんざん考えた末思いついたのが押入れに入れておくことだった。なけなしの金でカギを買い、押入れにつけて仕事に出る決心をした。

その朝、お藤さんは、さつまいもの入った丼と水の入ったヤカンとともに、気狂いのように泣き叫ぶ子供を無理やり押入れにおしこんで、心を鬼にして家をとび出した。

夕方、ひっくり返ったヤカンの水と小便にぬれた布団やボロ切れの上に、涙で汚れた子供のあどけない寝乱れ姿を見た時、押入れの前にペタリと座ったきりのお藤さんは一晩中子供を抱えて泣き通した。生きることの苦しさ、貧乏のみじめさが、この時ぐらい身にしみたことはなかった。

(『自労婦人しんぶん』三~四号、1958年5月20日、6月5日)

(「おふくろたちの労働運動」旬報社 1986年発行)

「古民家屋根裏」(写真:南岳)