人は、ごく稀に驚くようなものに出会うことがある。
四半世紀前に沖縄浦添市立美術館で見た<田中一村の世界>は正にそれだった。田中一村は子供の頃から画才を発揮し美術学校に進むが、結核を患い中退し独自の画道を歩む。39歳の時、絵画展に応募し入選するが、翌年応募作品の評価をめぐって主宰者と衝突し、以後日本画壇との一切の接触を断つ。その後50歳の時、自宅を売りすべてのしがらみを断って奄美に移り住む。
いま私が、この南の島へ来ているのは、歓呼の声に送られてきているのでも
なければ、人生修行や絵の勉強にきているのでもありません。私の絵かきと
しての、生涯の最後を飾る絵をかくためにきていることが、はっきりしまし
た。 (奄美から千葉の知人に宛てた手紙から(昭和三十四年))
何年か染色工として働いては、その金で画材を買い、金のある限り絵画制作に専念するという生活を続ける。
「命を削ったエンマ大王への土産」と銘打った作品があった。クワズイモの化け物のような大きい葉、太い茎、そしてソテツの特徴のある花が画布からあふれ出して、まるでエンマ大王に迫って行っているようだ。
「お前への土産だ、さあ受け取れ!」と。
命を削って描いたような作品の数々を見終わったぼくは、ただ何時までも呆然としていた。(文:海千)
「石垣島白保小学校校庭ガジュマル」(写真:南岳)
