011. 「ちょうどからスタートさせる」という概念を取り除く
ある脳科学の本に、「人間は1日に6,000回考える」とありました。
今日のご飯は何にしよう。
明日は何時に起きよう。
あの人のネクタイはいいネクタイだなぁ。
そんなことやあんなことを平均して1日に6,000回考えるとのことです。
その6000回の考えの中には、
例えば、
今日は、9時から会議だ。
今日は、18時から送別会だ。
と時間に関する考えも必ず含まれると思います。
その中で、さらに細分化し、時間に関する思考の中で、
自ら時間をコントロール出来るものと出来ないものに分けてみます。
他の多くの方の予定が絡む会議のスケジュールや、
飛行機の出発時刻なんてものは自分の都合だけではさすがに変えられません。
つまりコントロール出来ません。
しかし、例えば、
14時30分から資料の纏めをしよう。
16時から次の仕事を開始しよう。
20時に会社を出よう。
21時からスポーツジムに行こう。
このような自らの行動に関する思考については、自らがその時間をコントロール出来ます。
自ら行動を決める中で、人は無意識のうちに、
00分、15分、30分、45分と開始時間をどこかきっちりしたところから
始めようとするものです。
そこに私は疑問を持っています。
時間は誰にでも平等に与えられ、
さらに1分の価値はどこからスタートさせても1分に他なりません。
私たちの行動の中には無意識に決めた「ちょうどからスタートする」の概念に
しばられている行動がよくあると思います。
例えば、9時51分に暇になり、
次の作業を10時00分ちょうどから始めて、
30分間で纏め、10時30分に仕上げるといったケースです。
10時00分から始めよう!という無意識がここで働いています。
一方、同じ9時51分に暇になり、
その後9時54分からすぐに作業を開始し、
同じ30分をかけ、10時24分に仕上げた方が、
6分早く終えることが出来るのです。
これは当たり前ですが、無意識に出来ないことが良くあります。
これは新たに6分を生み出したものではありません。
しかし、次の行動に6分早く移れることになります。
休憩がダメということではありません。
無駄を楽しむ、余暇を過ごすことは人間のストレスフリーに必要不可欠であります。
絶対に必要なものです。
ただし、だらだらと過ごす。
もしくは、誰が決めたかわからない
「ちょうどからスタートさせる」と無意識に縛られ、
開始時間までだらだら待つのはもったいないのではないかと思います。
時間は長さを測る指標ではありますが、
行動の起点を示す指標では無いと思います。
どこから始めてもいい。
ただし、1分は1分。
すぐ目の前の1分1秒を有意義に過ごすことで、
ストレスフリーな自らの時間を獲得出来ることになると思います。
今日のご飯は何にしよう。
明日は何時に起きよう。
あの人のネクタイはいいネクタイだなぁ。
そんなことやあんなことを平均して1日に6,000回考えるとのことです。
その6000回の考えの中には、
例えば、
今日は、9時から会議だ。
今日は、18時から送別会だ。
と時間に関する考えも必ず含まれると思います。
その中で、さらに細分化し、時間に関する思考の中で、
自ら時間をコントロール出来るものと出来ないものに分けてみます。
他の多くの方の予定が絡む会議のスケジュールや、
飛行機の出発時刻なんてものは自分の都合だけではさすがに変えられません。
つまりコントロール出来ません。
しかし、例えば、
14時30分から資料の纏めをしよう。
16時から次の仕事を開始しよう。
20時に会社を出よう。
21時からスポーツジムに行こう。
このような自らの行動に関する思考については、自らがその時間をコントロール出来ます。
自ら行動を決める中で、人は無意識のうちに、
00分、15分、30分、45分と開始時間をどこかきっちりしたところから
始めようとするものです。
そこに私は疑問を持っています。
時間は誰にでも平等に与えられ、
さらに1分の価値はどこからスタートさせても1分に他なりません。
私たちの行動の中には無意識に決めた「ちょうどからスタートする」の概念に
しばられている行動がよくあると思います。
例えば、9時51分に暇になり、
次の作業を10時00分ちょうどから始めて、
30分間で纏め、10時30分に仕上げるといったケースです。
10時00分から始めよう!という無意識がここで働いています。
一方、同じ9時51分に暇になり、
その後9時54分からすぐに作業を開始し、
同じ30分をかけ、10時24分に仕上げた方が、
6分早く終えることが出来るのです。
これは当たり前ですが、無意識に出来ないことが良くあります。
これは新たに6分を生み出したものではありません。
しかし、次の行動に6分早く移れることになります。
休憩がダメということではありません。
無駄を楽しむ、余暇を過ごすことは人間のストレスフリーに必要不可欠であります。
絶対に必要なものです。
ただし、だらだらと過ごす。
もしくは、誰が決めたかわからない
「ちょうどからスタートさせる」と無意識に縛られ、
開始時間までだらだら待つのはもったいないのではないかと思います。
時間は長さを測る指標ではありますが、
行動の起点を示す指標では無いと思います。
どこから始めてもいい。
ただし、1分は1分。
すぐ目の前の1分1秒を有意義に過ごすことで、
ストレスフリーな自らの時間を獲得出来ることになると思います。